国家と情報機関 その1・・敵を知り、己れを知れば
2005年 05月 07日
防衛庁情報本部の元本部長の太田文雄氏が
「情報と国家戦略」という本を書いた。
なかなか秀逸な本で、
内容豊富な割に平易な言葉で書かれていて読みやすい。
情報収集や分析方法から、
情報と国家戦略、戦略的思考、
さらに孫子の兵法に至るまで書かれている。
具体的なエピソードも興味深い。
アフガン戦争やイラク戦争、
中国の東シナ海海底ガス田開発、
さらに北朝鮮工作船撃沈事件に絡む秘話など。
この本の冒頭に印象的な喩えが載っている。
卑近な例として、
皆さんが買い物に出かけたとしましょう。
目的の店に入ったところが、
そのお店が休みだったということがよくあります。
事前に電話して、閉店日の情報を入手しておけば
時間と足代を無駄にすることもなかったのに、
と思うでしょう。
これが戦争に関連した軍事情報になると、
時間と費用どころか、確度の高い一片の情報が
数個師団の戦力を生み出すということがあります。
氏はこの後、
「確度の高い一片の情報が
数個師団の戦力を生み出す」実例として
ゾルゲ事件について筆を進める。
ゾルゲ事件とは、ソ連生まれのドイツ人で、
ソ連のスパイであったリヒャルト・ゾルゲが
戦前の日本を舞台に行った日本最大のスパイ事件のこと。
1941年、ドイツがソ連に侵攻し、
ソ連は緒戦で大敗、首都モスクワまで
数百キロまで迫られるという状況に陥った。
ソ連の関心事は、ドイツの同盟国である日本が
これに呼応してソ連極東地方に侵攻するか否かということ。
もし日本がソ連と戦端を開くなら
ソ連も極東に一定の軍事力を貼り付けておかねばならない。
ゾルゲは近衛文麿のブレーンであった尾崎秀実から
1941年9月6日に行われた御前会議で
日本軍は、南方及び米国への進攻を軸とする、
「帝国国策遂行要領」を決定したという情報を入手、
これをソ連に通報した。
この情報を得たスターリンは
極東から数個の精鋭師団を引き抜いて欧州戦線に投入し、
ドイツ軍を押し返すことが出来た。
一片の情報が国家の運命を左右する。
あの時、ゾルゲが日本の南進情報を入手しなかったら、
あるいはゾルゲというスパイ自体が存在しなかったら、
歴史は大きく変わったでしょう。
ソ連は、たった1人のスパイがもたらした情報に救われた。
これぞ、重要情報の入手が国家の運営にとって
死活問題であるということの実例。
皮肉なことに日本はまんまとやられた側ですが・・。
そして、この種の国益に絡む重要情報を
全世界からかき集めるのが情報機関の役目。
多くの国では情報機関に数千から数万もの人員を配置し、
日々、情報と格闘している。
さて、有名どころの情報機関の名をあげてみましょうか。
米国のCIAにFBI、旧ソ連のKGB。
ここらへんは超有名ですな。
映画にもさんざん出てくる。
イスラエルのモサド、イギリスのSIS(MI6)
ここらへんになるとツウの領域ですか。
スパイ小説ファンならご存知でしょうね。
さて、ここに何故か、
日本の情報機関の名が出てこない。
はて、どうしてでしょうか?
実は日本には政府直属の巨大な情報機関は存在しない。
そういうものは日本には存在しないのです。
あっても小粒か、軍事情報専門か、
公安警察のような治安機関か、
公安調査庁のような意味不明の混迷機関か。
これが現代日本の弱点!
「スパイ防止法」も無ければ、
まともな情報機関も無い。
これであなた、国家と言えるのかいな。
とまあ、ここら辺を枕詞に
今日は「入門編」みたいな感じで
4つの柱を立てて、情報機関のイロハについて書きます。
◇情報機関とは何か?
◇情報収集の方法
◇情報収集と分析・評価
◇日本の情報機関
<情報機関とは何か?>
情報機関とは何か?
そもそもどういう仕事をしているのか?
まず、情報の収集が仕事の初歩。
その守備範囲は広い。
国益に絡むことなら何でもかき集める。
公開されている情報から、あっと驚く極秘情報まで。
文字情報から電波情報に至るまで。
国益に必要とあらば何でも取り揃えいたします。
さらに、情報を収集するだけが能ではありません。
世界中から仕入れた情報を分析・評価して
情報の加工までも行います。
データ
↓
インフォメーション
↓
インテリジェンス
ごっそりとかき集められた膨大な粗雑データがが
情報機関の中を通ると、
あら不思議、キラキラ輝く重要情報に加工されてしまう。
この「情報の分析・評価」も情報機関の役割。
それだけではありません。
他国の情報機関とのいざこざも、
チャンチャンバラバラの駆け引きも
情報機関の立派な任務でございやす。
さて、これはちょいと外聞を憚ることですが、
薄汚い裏世界の仕事も引き受けます。
偽情報の流布、宣伝戦、心理戦、
脅迫に要人暗殺、さらには国家転覆までもが守備範囲。
とまあ、これぞ情報機関のお仕事。
なんか口調が寅さんみたいになっちゃったけど(笑)、
要するに仕事内容は以下の3種類ですな。
1,情報収集、分析・評価
情報収集を行い、その情報を分析・評価する。
2,対諜報活動
他国の情報機関の
情報収集活動と情報工作の封じ込め。
テロ組織・過激派組織の監視。
3,情報工作・謀略
欺瞞情報の流布、非合法な謀略活動
米国でいうと、CIAは1と3が専門。
たまに2にも関わる。
FBIは2が専門。
謎に包まれた巨大機関NSA(国家安全保障局)は
1が専門の機関。
とまあ、これが情報機関の仕事でございやす。
<情報収集の方法>
情報機関の情報収集の方法に関しては
以下の4つに大別される。
◇公開情報:OSINT(Open-Source Intelligence)
意外な話しだけど、
全世界の情報機関が最も重視する情報がこれ。
即ち、公開情報。
しばしば情報機関の活動というと
スパイもどきの活動を想像しがちだが、
現代の情報機関の情報収集は、
90%はこの公開情報から行っている。
CIAなどは、あの冷戦期においても
共産圏からの重要情報の80%以上を
この公開情報から得ていたという。
「本物のインテリジェンスの英雄は
シャーロック・ホームズであって、
ジェームス・ボンドではない。」
これは前掲の「情報と国家戦略」に載っていた言葉。
公開情報を丹念に収集していき、
ノウハウを蓄積していると、
他者が気づかないような視点から、
あっと驚く重要情報をつかむことが出来る。
たとえば、中国の公的機関が発表する情報は
意図的に粉飾してあったり、
バイアスがかかってる情報が多いが
だいたい以下のパターンがある。
1,体制にとって困る情報は流さないか否定する。
2,事が大規模になったら、やむなく流すが、
意図的に過小に言いつくろうか、
小さなプラス面を過大に言いつのる。
これを念頭に中国の官情報を読み取ればいい。
要はパターンと癖を覚えること。
中国の公開情報なんて
素直に受け入れると目が曇ってくる。
◇人的情報:HUMINT(Human Intelligence)
これぞ情報機関の花、
即ちスパイなどを使った情報収集。
ついでに言うと、米国などはこれを軽視しがち。
技術偏重・科学偏重で、
後述するSIGINTやIMINTを重視する傾向がある。
逆にイスラエルのモサド、
イギリスのSIS(MI6)などはこれを重視する。
◇電波情報:SIGINT(Signals Intelligence)
有名なのが米国のNSA(国家安全保障局)。
その主な任務は外国暗号の解読、外国通信の解析。
全世界に電波情報収集の通信アンテナを立て、
さらに通信傍受衛星を打ち上げて、
全世界の電波情報の傍受と解析を行う。
このNSAが他国と共同で構築したのが「エシュロン」。
英国・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドの
アングロサクソン系諸国と共に
五ヶ国で五万六千人、全世界120ヶ所で
世界の電波情報を収集している。
日本の三沢の米軍基地内にある、
巨大な通信アンテナが実はこれ。
◇画像情報:IMINT(Imagery Intelligence)
偵察衛星、航空機による画像情報の解析。
日本だと防衛庁情報本部の画像・地理部や、
内閣情報調査室内の「内閣衛星情報センター」が
これに該当する。
<情報収集と分析・評価>
さて、情報機関の行う、
情報収集
↓
情報の分析・評価
この一連の流れですが、
これって小難しい話しに感じるかもしれないけど、
実は我々普通人が日常的に行っていること。
仕事や日常の中において
飛び交う情報の軽重を判別し、
その中から自分にとって重要情報をピックアップして
分析・評価を加える。
たとえば、ある物品を購入するとして、
それに関わる各メーカーや販売店からカタログ情報を収集し、
多くの同種の物の中から、
価格・性能・デザインなどを比較考慮した上で、
「これに決めた!」と物品の購入を決定する。
1,情報の需要の発生
↓
2,情報の収集
↓
3,情報の分析・評価
↓
4,行動方針の決定
この4つの流れの中で、
「情報機関」が行っているのが2と3なわけ。
もう一つ卑近な例を挙げるならば、
この私の「娘通信♪」にしてもそう。
多くの時事系ブログがそうであるように
情報の収集
↓
情報の分析・評価
これ流れで記事を構成している。
巷間の一次情報を仕入れてきて、
これにそのブログ独自の分析・評価を加える。
結果は、個々のブログによって様々で、
深いところもあれば、浅いところもある。
右に偏るところもあれば
左に偏るところもある。
よく当たるところもあれば
よく外れるところもある。
得意分野を持っているところもあれば、
オールマイティに全てこなすブログもある。
で、読者の方は
そういうブログの内容を見て、
自らの愛読ブログを選択する。
各国の情報機関が
情報収集と、情報の分析・評価で行っているのは、
基本的にこの時事系ブログの手法と一緒。
情報の収集
↓
情報の分析・評価
これを国家的規模で
全世界に対して行っているというわけ。
<日本の情報機関>
先にも触れたように、
現在、日本には政府直属の巨大な情報機関は存在しない。
米国のCIAのような
世界中から情報をかき集めるような情報機関は無い。
一応、官庁には
いくつかの情報機関は存在する。
以下、簡単に解説します。
◇内閣情報調査室
1952年9月、吉田内閣時に
内閣総理大臣官房に調査室という名称で設置され、
1957年8月に内閣官房に移されて内閣調査室となった。
1986年7月に内閣官房の改編に伴い、
内閣情報調査室に名称変更。
内外情報の収集と分析・評価を行う。
人員は二百数十名。
情報収集衛星のデータ解析を行う、
「内閣衛星情報センター」を部内に持っている。
しばしば「日本版CIA」のような言われ方をするが、
それは過大評価のし過ぎ。
CIAから抗議されかねない(笑)。
たった二百数十名のマンパワーでは
やれることなど限られている。
むしろ、世間で一人歩きしている虚像の方が大きい。
もっとも、秘密裏に
民間の団体や企業に複数の外郭団体を作り、
そこに情報収集を委託している可能性もあるけどね。
◇防衛庁情報本部
防衛庁の統合幕僚会議の下に設置されている。
人員は2千人。
3自衛隊ごとに設置されていた情報部門を集約。
主に日本周辺地域の軍事情報を収集し、
分析・評価を加える。
2006年3月から防衛庁長官直属となる予定。
総務部、計画部、分析部、緊急・動態部、
画像・地理部、電波部から構成されている。
ここは軍事組織の中の情報機関であり、
いわゆる「CIA的な」政府直属機関ではない。
情報もやはり軍事情報がメインであり、
日本の国益に関わる情報を根こそぎ収集ってわけじゃない。
米国で言えば国防省のDIAがこれに相当する。
◇公安警察
正式には警察庁警備局と
その傘下にある各都道府県警察の警備部。
これが「公安警察」と呼ばれている。
治安に関する情報の収集と犯罪捜査及び逮捕を行う。
人員はハッキリとは公表されておらず、
推計で5~6万人と言われている。
予算も全く公表されていない。
担当範囲は、共産党・左翼団体・右翼団体・
アレフ(旧オウム真理教)・朝鮮総連、
さらに北朝鮮などの旧共産圏諸国がメイン。
米国でいうとFBIのカウンターパートがここになる。
実態は謎に包まれてるけど、
最近、あれこれと暴露本が出てきて、
謎の一端が世間の耳目に触れるようになってきた。
純然たる情報収集機関とは言い難く、
警察の中の一機構であり、治安機関である。
上述の「情報機関の仕事3分類」で言うと、
2の「対諜報活動」機関に該当する。
◇公安調査庁
法務省の外局。
「破防法」「団体規制法」の規定に基づき、
暴力主義的破壊活動を行った団体と
無差別大量殺人行為を行った団体の調査を行う。
人員は千五百名。
情報収集分野は「国内外を問わず、テロリズムや
日本に対する治安上の脅威となる事柄に対して
情報収集を行う」となっているが、
対象範囲は無茶苦茶広く、
北朝鮮・中国・ロシアから、
オウム真理教・右翼・左翼・労働組合、
反戦・反基地運動、反核運動(原水禁、原水協など)、
原発反対運動、新興宗教、消費税反対運動、
市民オンブズマンなど行政監視グループ、
部落解放・女性解放など人権擁護運動、
生活協同組合や産直運動、環境保護団体、
言論団体(日本ペンクラブ等)など、
おいおい、ここまで調べるのかよ!というぐらい、
広く浅く収集している。
いずれ一つの記事として書きますが、
この組織は永らく「リストラ官庁」と揶揄されてきて、
組織自体が組織目的を探しあぐねてるようなところがある。
そのために組織存続の願望を込めて、
手当たり次第に内から外まで情報を収集している。
さてさて、情報機関の入門編をザァーっと書いてきた。
この第一回目を導入部として
次回以降は個々の情報機関の詳細な解説に入る。
まずは日本の機関から。
公安警察、防衛庁情報本部等々。
それが終われば外国の情報機関へ。
CIA、KGB(現FSB)、モサド、SIS等々等。
まあ、あれこれ解説しますが、
根底に流れてるテーマは一つ。
即ち、
情報機関無き、日本の現状を憂う!
これが主題。
日本にとって
これだけ内外の情勢が激動している時に
この資源無き加工貿易立国が
ここまで情報を軽視するのは
国家の命運を左右しかねない。
ろくに国家戦略を持たず、軍事力過小で、
しかも情報軽視の三拍子とくれば、
これは国家的規模の怠慢といっていい。
日本はこの情報収集機能と、
対諜報活動にもっと力を入れるべき。
対諜報活動は「スパイ防止法」とセットでね。
外にあっては情報を収集せず、
内にあってはスパイ天国じゃ話しにならないよ。
古人曰く、
敵を知り、己れを知れば、百戦あやうからず。
敵を知らずして、己れを知れば、一勝一負す。
敵を知らず、己れを知らざれば、戦うごとに必ずあやうし
孫子謀攻篇の有名な言葉。
情報収集のエッセンスそのもの。
何故、情報が必要なのか?
情報を軽視してはいけないのか?
答えは「敵を知り、己れを知れば、百戦あやうからず。」
これに尽きると思う。
*「情報」と国家戦略:太田 文雄 (著)
*情報と国家―収集・分析・評価の落とし穴:
江畑 謙介 (著)
*情報機関 - Wikipedia
*GENDAI NET:日本の「軍事情報」収集能力
追記:この記事は5月7日の深夜に上梓されましたが、
あまりに文章構成がいまいちだったので、
5月9日に大幅改訂させていただきました。
雑な文章をお目にかけて申し訳ありませんでした m(__)m