完全復刻!「紫禁城の黄昏」・・改悪岩波版を越えて。
2005年 02月 24日
私の尊敬する保守派論客の渡部昇一さんが、
何度か著書の中で触れていた「紫禁城の黄昏」の
全訳作業が有志によって始まってます。
*復刻・禁苑の黎明
Twilight in the forbidden city
この本に関して渡部さんは雑誌「Will」の創刊号で
次のように述べています。
以下、引用します。
戦後日本における中国の問題は、
満洲国にたいする見方、
すなわち「満洲国は日本が中国を侵略してつくった」
という見方ですが、そこに端を発していると思います。
そもそも日本の国際連盟脱退も満洲問題が原因です。
満洲問題自体が起こったのは、
国際連盟が満洲国という国を
理解でぎなかったことによるものであり、
とくにアメリカは理解しようとさえもしませんでした。
イギリス人であるリットン卿は理解できないまでも、
満洲事変は侵略とは簡単に言えないと言っているんです。
アメリカなどは、
日本がシナを侵略しているという立場をとりましたが、
満洲に関していちばん正しい見方をしていたのは、
イギリス人のレジナルド・ジョンストン卿です。
彼は溥儀の教師であり、のちに香港大学の教授や
ロンドン大学の東方研究所所長にもなった人物で、
当時第一級のシナ学者です。
清朝にずっと仕えていたので、
内部事情にも非常に精通していました。
満洲国建国の経緯や
溥儀自身の意思も彼はよく知っていました。
ですから溥儀が父祖の地である満洲に戻って、
そこの皇帝になったことをとても喜んだ。
そうして『紫禁城の黄昏』という、
天下の名著を書いたんです。
この本は東京裁判のときに、
日本の弁護団が証拠として使おうと、
証拠物件申請をしたんですが却下されました。
理由は至極簡単で、
この本がジョンストンという学者であり、
第一級の証言者が著したウソ偽りのない資料であるゆえに、
証拠採用してしまえば
東京裁判自体が成り立たないからです。
『紫禁城の黄昏』は
戦後長らく世界中で再出版されませんでした。
映画「ラスト・エンペラー」がヒットしたので、
岩波書店が岩波文庫として刊行したのです。
ところが、この文庫では
シナという国のあり方を説明した1章から10章までが
まったく削除されて11章からはじまっている。
しかも序文でも満洲国に関係ある人物が登場すると、
1行でも2行でも虫が喰ったように削除するという、
信じられないことをやっている。
満洲のことを中国東北部と称するのは、
中国政府の侵略史観のあらわれです。
満洲国は、満洲という土地に、
満洲族一番の直系の王族が戻ってきて建てた国です。
満洲というのは万里の長城の北にあります。
それは、万里の長城から北は
シナでないという意味なんです。
そのことを考えずに、満洲は中国の一部だというのは、
チベットや新彊が中国だというのと同じ思想で、
シナ人の単なる侵略思想です。
満洲は明らかに清朝政府(満洲民族の帝国)の復活です。
満洲人の満洲人による満洲人のための
満洲国を作りたかったんだけれども、
それをやる能力がないから日本が内面指導したんです。
大臣はすべて満洲人か、清朝の遺臣でした。
首相だった張景恵は、戦後もずっと
日本にたいして友好的な態度をとっていました。
残念ながら、いま満州族には
国家を再建するほどの人間は残っていないでしょう。
日本人もせっかく国をつくるのを手助けしたのにと、
残念に思っていい。
香山健一氏(学習院大学教授。故人)から聞きましたが、
満洲人はいまでも涙を流すそうです。
「われわれにも自分たちの国があったんだ」と。
しかしもう戻らないでしょう。
満洲国の血筋は消されてしまったわけですから。
これこそ一種の民族浄化です。
かの岩波文庫が、これの邦訳を発行した時に、
左翼史観にとって都合の悪い部分は削除してしまった。
以下、岩波版のあとがきの抜粋です。
おわりに本書の構成について一言記しておきたい。
原書は本文二十五章のほか、
序章、終章、注を含む大冊であるが、
本訳書では主観的な色彩の強い前史部分である、
第一~十章と第十六章「王政復古派の希望と夢」を省き、
また序章の一部を省略した。
注は主として引用の原典にかんするものなので、
これも省略して、一部を訳注にくりいれた。
念のため削除部分を示しておく。
第一章 一八九八年の変法運動
第二章 変法運動の挫折
第三章 反動と義和団運動
第四章 光緒帝の晩年
第五章 西太后
第六章 一九一一年の革命
第七章 大清皇帝の退位条件
第八章 大清と洪憲朝
第九章 張勲と王政復古(復辞)
第十章 松樹老人(張勲)の自伝
第十六章 王政復古派の希望と夢
したがって原著の第十一章が
本訳書の第一章となっている。
ジョンストンの夢の装置が現代まで保たれているのは、
彼が何ら責任のともなわない<国家もどき>を基盤にして
権力の夢を紡いだからではなかったろうか。
彼が仕えた皇帝は最初から最後まで国民を持たなかった。
現実の統治の責任がなければ権力への夢は
純粋に快楽としていくらでも再生産されるであろう。
そこにジョンストンの夢の装置の有効性がある。
私たちを絡めとろうとする夢の装置から免れて、
すこしでも開放された存在として
生きることを選ぼうとして真剣に生きている人々に
この訳書がいささかでも示唆となることを望んでやまない。
前々から渡部昇一さんは、
この訳本の悪質さを言及していた。
訳者:入江曜子氏は
「主観的な色彩の強い前史部分である、
『王政復古派の希望と夢』を省き~」
などと書いてるけど、
そういう自分自身が主観で
歴史的な著作を大幅に省いている。
こういうことは許されることではない。
いかにも岩波らしくて不愉快だね
そしてこの度、
これに憤激した有志による全文の翻訳が始まったわけ。
私も読み始めたばかりだけど
すごく読みごたえがあるね。
ただ、文章が昔風で取っつきずらいのが難だけど、
ブログに連載していて
見た人がコメントなども書けるようになっている。
ご興味のある方は
是非、参照してください。