misakiのオールジャンル時事評論!


by misaki80sw

カテゴリ:反ジェンフリ・反フェミニズム( 9 )


「ジェンダーフリー考」の最終回です。
今日は3つの柱を立てて書きます。

◇性教育、米国の現状

◇教育界の人材について

◇政治家の責務について


<性教育、米国の現状>

70・80年代に「性革命」の嵐が吹き荒れた米国。
カウンターカルチャーとウーマンリブ、
フェミニズムの台頭とフリーセックス。

これと期を一にするかのように
家庭の崩壊と性の乱脈が始まった。

離婚率は50%に達し、
そのうち71%が3年以内に再婚。
さらにその60%は再び離婚して、
3回4回の離婚は当たり前。
夫婦は互いに連れ子だらけ。

子供の60%が18歳までに両親の離婚を経験し、
その3分の1が親の再婚と2度目の離婚を経験。
そのため、継母・継父による児童虐待が
大きな社会問題となっており、
現在報告されているものだけでも、
年間2百万件を越えている。
このような家庭環境で育てられた子供が、
さらに少年犯罪や麻薬に走り、
また10代の出産が増える。
まさに家庭崩壊と性の低年齢化の悪循環。

60年代から80年代にかけて、
米国の凶悪犯罪は実に6倍近く増加。
婚外子が4倍、離婚率も4倍に増えた。
また、10代の妊娠も深刻で、
毎年20歳前の女性の10人に4人が妊娠し、
その数は100万人に達している。

しかし、90年代後半から、
この傾向にストップがかかるようになってきた。
米国はレーガン政権のあたりから
「家庭の尊重」「家族の価値」が叫ばれるようになり、
クリントン政権、ブッシュ政権を経て、
いっそう、その声は盛んになっていく。

昨今の米教育界では
「人格教育」「純潔教育」が息を吹き返しつつある。

「人格教育」とは善悪の価値を明確に示す教育。
それまでの「非指示的アプローチ」教育では、
子供の自主性を尊重するという建前から
教師が善悪の峻別を明確に言うことは少なかった。

しかし、規範無き教育は
無秩序と倫理の低下につながり、
個人の性の自由と権利の名の下に
性道徳は崩壊していった。
性道徳の崩壊は妊娠の低年齢化につながり、
必然的に避妊を推奨する性教育が盛んとなった。

その反省から、
善悪を明確に言う「人格教育」が復活した。
米国教育省は、94年から小中学校教育令によって
「人格教育」を認可し、全国的に推進している。
現在、NSBA(全米教育委員会連合)の3206学区のうち、
45%が「人格教育」を導入している。
また、36%は近いうちに導入したいと考えているという。

「純潔教育」は
純潔あるいは自己抑制を重視する教育。
現在、米国の公教育で採用されている純潔プログラムは
10種類以上ある。
その多くはレーガン政権下で開発されたもの。
同政権は年間200万ドル(約2億円)を投入して、
青少年の性行動の自己抑制を奨励する教材の開発を勧めた。

レーガン政権の8年間は
米国でエイズ患者が急増した時期でもあり、
性の乱脈に政権担当者達は相当の危機感をいだいていた。

この中で、もっとも広まっている純潔教育カリキュラムは
「セックス・リスペクト」(性の尊重)と呼ばれるもの。
具体的には「アージン(性欲)をコントロールせよ。
バージン(処女)であれ」をスローガンに、
結婚まで性関係を控えることを奨励する。
イリノイ州を中心に、全米で千校以上の中学校で採用され、
大きな効果をあげている。
 
また、1989年から始まった「フリーティーンズ」は
メディアで宣伝を行い、純潔の道徳的価値を説くとともに、
エイズ感染の恐ろしさを説明しながら、
エイズ防止の絶対的な手段として純潔の重要性を訴える。
このプログラムはニュージャージー、ニューヨーク、
カリフォルニアなど、30州の教育機関で採用されている。

1996年以降、時の政権は
10代への純潔教育に年間五千万ドル近くを投入してきた。
ここらへん、年間に男女共同参画関連予算9兆円をかけて
国家自らが教育を破壊しつつある日本と正反対。

さて、この結果、
米国の性の乱れは徐々に落ち着きを見せ始めている。
1991年、高校卒業までの性交体験率は72%だったが、
それが10年を経て62%にまで下がった。
また、10代の出産は
1991年がピークで千人当たり62.1件。
その後下降し、95年には56.8件に減少。
さらに2000年には48.7件まで減った。
妊娠も、91年の117件(千人当たり)から
95年は101件と減り、
その後も減少傾向が続いている。

米国の得た教訓は
行き過ぎたフェミニズムと権利の乱用は、
道徳と秩序の崩壊につながるということ。
特に家庭・家族、そして子供にしわ寄せがいく。

離婚の激増、経済的困窮、児童虐待、
アルコール・麻薬中毒、犯罪の急増。
これらの問題は国家を揺るがし、
倫理の崩壊は国力の低下につながる。
また、社会問題の激増は社会的コストを増大させ、
国家財政を圧迫する。

70年代から80年代にかけて
米国の代名詞であった教育の崩壊と性の乱脈化に
歯止めがかかりつつある。


<教育界の人材について>

さて、これまでの回の中で、
ジェンダーフリーの教育界への浸透について
あれやこれやと書いてきました。

ジェンダーフリー考 その6・・教育の惨状(前編)

ジェンダーフリー考 その7・・教育の惨状(中編)

ジェンダーフリー考 その8・・教育の惨状(後編)

「教育の惨状」というサブタイトルを掲げましたが、
その荒廃ぶりはひどいものです。

ちょっとジェンダーフリーから話が逸れますが、
私はあれを書いてて「教育界の人材のレベル」について
考え込んでしまいました。

たとえば実業の世界なんかと比較してみても、
何故、教育界において、
この手の魑魅魍魎の思想が跋扈するのか?
それはジェンダーフリーに限らず、他の左翼的思想もそう。

◇日の丸君が代反対

◇自虐的歴史教育

◇自衛隊反対

国民的常識とは正反対の発想が
教育界では当然のように罷り通ってしまう。

たとえば彼らは職場で思想宣布をすることが好きだが、
他の世界でこういうことってありえますか?
上司である校長・教頭や、
その上部機関である教育委員会の方針に平然と逆らう。
こういうことって他の業界でありえますか?

製造業では?
金融業では?
物販業では?
不動産業では?
他の世界ではありえないこと。
それが教育界では当たり前のように起こる。

何故か?
ハッキリ言いますが、
教育界って人材のレベルが低いんじゃないの?

いろいろ他にも理由はあるでしょう。
競争原理が働かない、
世間の波にもまれない為、
社会的に認知されない思想が
教育界では純粋培養で増殖してしまう、
左翼系組合の力が強い、等々等。

でも、根本は人材のレベルだと思う。
もちろん、優れた先生はいらっしゃるし、
日夜研鑚に務めている教師もいるでしょう。
それは否定する気は無いし、
そういう方々にとっては心外かもしれない。

しかし、もっと大きな視点から教育界を俯瞰して見ると、
この業界には、世に大きな影響を与える人物、
「巨人」的な存在がいないことに気づかされる。

人のあり方、人生とは何か?
良く生きるとはどういうことか?
人としての倫理はもちろん、
社会のあり方、国家の進路について、
自分の属する業界を飛び越えて
社会と国家にその言説でもって影響を与える人物、
「謦咳家」のような存在が見当たらない。

かつて日本は、教育界に巨人を輩出した。
福沢諭吉然り、新渡戸稲造然り、新島襄然り。
あるいは安岡正篤然り。
最近では渡部昇一氏然り。
しかし、現代には他に誰が存在する?
全く見当たらないでしょう。

かつて明治政府は開明事業において
福沢諭吉の意見を聞くことが多かった。
彼は慶応義塾を創設した教育家であり、
その著書によって明治の人間の生き方や
国家の進路に多大な影響を与えた。
今、教育界にそういう存在がいるだろうか?

もちろん、大学教授などで
テレビ出演や著作などによって世間に影響を与える人はいます。
ただ、その場合は自分の専攻分野に限定された影響力であって、
人の倫理や国家のあり方など
「人の世の根本義」に影響を与えてるわけではない。

本来、教育界とは
その手の「時代を越えた人物」を
他の業界よりもはるかに多く輩出する土壌だと思うのだけど、
日本の教育界の現状は全く逆。

それは何故か?
まず、教育界は日本の有為な人材を吸収しきれてない。
人材の多くは官界や法曹界・実業界に行ってしまう。
また、人材が入ったところで
それが大樹に育つ環境ではない。
この2点でしょう。

結局ね、「ジェンダーフリーが教育に浸透」たって、
そんなもん現状論・結果論でしかない。
本来、教育界の人たちが粒揃いの人材であれば、
こんな怪しげな思想など浸透するはずがない。
それを受け入れる土壌がそこに存在したということでしょう。

極論するならば、
魑魅魍魎の教師集団に
魑魅魍魎の狂気の思想が感染しただけ。
類は友を呼び、
レベルの低い教育界に同レベルの思想が
馴染むように浸透しただけ。

確かに男女共同参画基本法なる悪法が制定され、
ジェンダーフリーがお上の遂行命令として
下ってきたことも理由の一つでしょう。
でも、この惨状はそれだけじゃ説明がつかない。

心ある人々は
教育へのジェンダーフリーの浸透を嘆く。
政治家連中は過激な性教育の実態を
国会で山谷えり子議員などに教えられ、
目を白黒させ、「それは問題だ」という。

でもね、この問題の根本原因は
教育界のレベルの低さにある。
教師達が高徳にして見識高き人々ならば
決してこういう問題は生じなかった。

ジェンダーフリーの排除も必要だけど、
それ以上に、それをあっさりと教育現場に受け入れ、
狂思想に自ら進んで憑依されてしまった、
彼らの質の悪さを改善すべき。

ここの部分を改善しなければ
教育界からジェンダーフリーを追い払ったところで
また別の怪思想がやってきたら、
彼らは再度、己の魂を売り渡すでしょう。

悪草をいくら引っこ抜いても、
それが育つ土壌自体を変えない限り、
また別種の悪草がそこで根を生るでしょう。

国の基は教育にあり。
これが単なる謳い文句と思わないならば、
教育界の人材の質を高めるべく、国家は努力すべき。
教育改革がどうだこうだと言ってるけど、
技術的なことをあれこれいじるだけではなくて
人材のレベル向上という観点から考えること。
そして、それは既属の人々の向上を考える以上に
業界に良き人材を流入させるという観点を持つこと。
今まで実業の世界に流れていた人材を
再び教育界に呼び戻すこと。

粒揃いの人材を揃え、磐石の体制を敷くこと。
そうすればジェンダーフリーなんて、自然に解消してしまう。
これらの観点が大事かと思います。


<政治家の責務について>

教育界と同じことが、政界にも言えます。

私が、この「ジェンダーフリー考」シリーズの
構成を考えるにあたってイメージしたことは、
一本の大河の上流が汚染され、
その汚れが下流へ、支流へと広がっていく様子です。

源が汚され、濁流が川下にまで広がり、
魚達が腹を出してプカプカと浮き上がる。
そのイメージを基に各回の構成を考えました。

◇国法へのジェンフリの浸透・・男女共同参画基本法の制定
       ↓     
◇政界・官界が汚染・・内閣府内に男女共同参画会議設置。
       ↓
◇地方自治体に汚染が波及・・各自治体で男女共同参画条例が
              ラッシュのように制定されていく。
       ↓
◇教育現場への浸透・・ジェンダーフリーに基づいた教育
           過激な性教育


この浸透の過程を見てて思うのは
敵手たるジェンダーフリー論者達は
非常に狡猾で戦略的だということです。
まず、大河の源から押さえたわけです。

その源の汚染の端緒を作ったのは、
1999年の男女共同参画基本法の制定です。
ここから全ては始まりました。

今、人権擁護法案に対して反対論が巻き起こり
政界でも一部の議員達が激しく抵抗しています。
彼らの胸中にあるものは、
かつて男女共同参画基本法を通してしまった、
自責の念だと思います。
「あの轍は二度と踏みたくない」
それが彼らを駆り立てている思いでしょう。

ここで私が彼ら政治家諸氏に言いたいのは、
己の失態のツケは己で始末をつけろ、ということです。
かつて悪法を易々と通し、
国家を狂思想に憑依されてしまった責任は
当時国会議員だった諸氏が負うべきでしょう。
己の過失は己で始末すべし。

もちろん私は、なんでもかんでも政治家が悪いと、
国政の全ての諸悪を彼らの責任に帰すような
そういう幼稚な発想は嫌いです。
政治家のレベルはイコール国民のレベルであり、
それは国家の民度の反映でもあります。

しかし、ジェンダーフリーが広まる端緒を見逃し、
みすみす川の源を汚されてしまった責任は大きいでしょう。
悪法を悪法と見抜けずに挙手賛成をしてしまった諸氏は、
己の見識の浅はかさを痛感してほしいと思います。

政治家にとって「無知」とは罪悪です。
一般人にとって「無知」とは
単なる短所の一つに過ぎませんが、
政治家にとって無知は罪です。
無知なる政治家は存在自体が害悪です。

憲法では国民の被選挙権を認めていますが、
私は政治家になるということを「権利」と捉えてほしくないのです。
自らの一つ一つの判断や立案・決定・選択が
数百万人から数千万人、あるいは数億人の幸不幸を左右し、
その時々刻々での判断ミスが日本という大河の源を汚し、
下流では死屍累々たる惨状が現出する。
この状況を見つめた時に、
「立候補は国民の権利」などというような
安直な意識で政治家になってほしくありません。

このジェンダーフリーという悪流に対し、
抵抗している人たちもいます。
良心あふれる一部教師たち、勇敢な少壮地方政治家、
国民世論に訴え続けている著述家・学者たち。
しかし、彼らの勇気ある抵抗も
この濁流の流れを押し留めることは不可能でした。

政治家諸氏よ。
貴方たちは日本という大河の源流の番人です。
源流から流れ出ずる清流が
川下の一億数千万の喉を潤します。
それはやがて大海に至り諸国の人々をも潤します。

かつて自らの過失により、この源を汚してしまったのなら、
貴方らは己の良心にかけて清き流れを取り戻すべきです。
汚れの根源を取り除き、
川下の人々を苦悶から解き放つべきです。

端的に言うならば、
男女共同参画法の廃止、
内閣府内の男女共同参画会議の廃止、
国連の「女子差別撤廃条約」からの脱退、
そして国家の名において
「家庭の尊重」「家族の尊重」「伝統的価値観の尊重」
国家の基は健全な家族・家庭にあることを明確に宣言すること。

これをやっていただきたい。
日本をジェンダーフリーという悪霊の憑依から
解き放っていただきたい。



さて、今回で「ジェンダーフリー考」は終了です。
長らくお付き合いいただきありがとうございました m(__)m
今後も個別にこの狂思想の弊害について
取り上げていくつもりです。

最後に、この問題に関心を持ってる人に
関連サイト・関連資料のリンクを張っておきます。
ご参考までに。


<関連サイト・ブログ>

反フェミニズムサイト

林道義HP

山谷えり子議員サイト

のまりんの部屋

長尾誠夫のHOTPAGE

フェミナチを監視する掲示板

税金で言いたい放題!やりたい放題!の
 フェミたちを晒すサイト


これでいいのか?性教育-教室はアダルトショップ

川崎市の教育を考える会(仮)

★★★ 桜魂 ★★★

富士山2000の日記

人づくり県民ネットワーク

ジェンダーフリー初級編

ジェンダーフリーに隠された
 「セックスフリー(性別撤廃)」という狂気!



<関連資料>

国際派日本人養成講座:フェミニズム 対 民主主義

国際派日本人養成講座:
 山谷えり子 ~ お母さん議員、奮闘す


月刊「正論」:
 内閣府男女共同参画会議の恐るべき戦略


月刊「正論」:
 過激性教育の“伝道者”たちよ、そんなに批判が怖いのか!


月刊「正論」:
 子供たちに家族解体を教え込む教科書の恐怖


月刊「正論」:
 ジェンダーフリーの元祖はやっぱりマルクスとエンゲルス


月刊「正論」:フェミニズム条例を一掃しよう!

フェミニズムとマルクス主義

ポスト・マルクスの群像

純潔重視で十代出産が減少した米国

米国は今、人格教育推進

米国:公教育で効果をあげる純潔教育


<関連報道>

産経Web【教育を考える】

都立の養護学校、過激性教育 校内文書で判明

「ジェンダーフリー」教育現場から全廃 東京都

「過激性教育」の実態 調査方法を検討 中山文科相

過激性教育 首相「これはひどい」参院予算委

「必要な男性器の長さは?」
 大田区の中学教師、テストに出題


「さん付け」統一に反対 文科相「個人の自由」 衆院委

行き過ぎた性教育に歯止め
 文科省が「調査研究委員会」発足


日教組教研集会「ジェンダーフリー」報告

ジェンダーフリー条例 施行2年で消滅

福島県教委 「ジェンダーフリー」掲げる県立高
 表現見直しを指導



<参考書籍>

新・国民の油断
 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす
 西尾 幹二 (著), 八木 秀次 (著)


国を売る人びと―日本人を不幸にしているのは誰か
 渡部 昇一 (著), 八木 秀次 (著), 林 道義 (著)


反「人権」宣言 ちくま新書
 八木 秀次 (著)


日本を貶(おとし)める人々
 渡部 昇一 (著), 新田 均 (著), 八木 秀次 (著)


フェミニズムの害毒 林 道義 (著)

*ブレンダと呼ばれた少年:
 ジョンズ・ホプキンス病院で何が起きたのか
 ジョン コラピント (著)



娘通信♪関連過去記事
ジェンダーフリー考 その8・・教育の惨状(後編)
ジェンダーフリー考 その7・・教育の惨状(中編)
ジェンダーフリー考 その6・・教育の惨状(前編)
ジェンダーフリー考 その5・・ブレンダと呼ばれた少年
ジェンダーフリー考 その4・・保守の油断(後編)
ジェンダーフリー考 その3・・保守の油断(前編)
ジェンダーフリー考 その2・・尻尾の無い狐
ジェンダーフリー考 その1・・堂本県政の狂思想

左翼最後の悪あがき:「無防備地域宣言」運動。
ドイツと欧州、左翼思想と国家の衰弱。
外国人地方参政権問題その4・・オランダの荒廃。
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by misaki80sw | 2005-04-08 01:37 | 反ジェンフリ・反フェミニズム
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ジェンフリ考の8回目。
「教育の惨状」の後編です。
今回は過激な性教育の実態を書きます。

「百聞は一見に如かず」ですから、
私がああだこうだと語るより
画像を多く掲載する形にします。

ただ、過激画像をそのまま載せると
エキサイトがビビって削除しかねないので、
画像はリンクで対処します。
あらかじめご承知ください。


2003年7月、衆院決算行政監視委員会で、
山谷えり子議員が小泉首相に
教育現場における過激性教育について質問した。

この時、山谷議員は
全国の教育現場で多く使われている、
「スージーとフレッド」という性器のついた人形を使って
小泉首相に質問しようとしていた。
しかし、これに生中継するNHKから待ったがかかった。

 「山谷先生、そんな卑猥なもの、とても放送できません」

NHKで放送できないようなものが
小学校低学年の授業で使われている。
この馬鹿げた現実。

ちなみに、これが「スージーとフレッド」↓

スージーとフレッド

もともとは米国で
性的虐待を受けた子供の証言のために作られた人形。
それが日本では児童の性教育で使われている。

この「スージーとフレッド」が
この問題に危機感を持つ人たちの耳目に触れたのは、
東京都の都立七生養護看護学校の
性教育問題がきっかけだった。

以下、平成16年2月3日の産経新聞より。

都立の養護学校、過激性教育 校内文書で判明

 過激な性教育や教員の服務違反などが発覚、
 教職員が大量に処分された、
 東京都立七生養護学校(日野市)の問題で、
 児童生徒が暮らす寮や
 一部保護者からたびたび同校に対し、
 実施された性教育をめぐる疑問や批判、
 苦情が寄せられていたことが
 産経新聞が入手した校内文書の記録などでわかった。
 性教育を受けた後、性器の名称を公然と口走ったり、
 人前で触るなどの事例があった。
 都教委も深刻に受け止めており、
 同校の正常化を急ぐ方針だ。

 同校では平成八年ごろから一部教員らによって、
 性器を具体化した教材などで
 独自の性教育が始まった。

 同校の性教育をめぐる会合の
 会議録など校内文書によると、
 児童生徒は性教育を興味本位にとらえがちで、
 時や場所を踏まえずに性器の名称を口走ったり、
 性器をいじる、見せ合う、触り合う、
 といった行動が寮に広がり困る-などの苦情が
 保護者や学校に隣接した寮の職員から寄せられた。

 特に寮職員からは
 「女子生徒同士が裸で布団に入っていたのを見つけた」
 として当惑した例も。
 「女児が先生に抱き付いたりべったり身体を預けて
 歩いていく姿を見かけ気がかりだ」
 「男女を問わずに生徒が結婚してほしいと持ち掛けてしまう」
 といった出来事に違和感を抱いた職員もいた。

 なかには皆が集まった集会室で
 いきなり自慰行為を始めたので注意すると
 「学校で自慰行為は恥ずかしいことじゃないと教わったよ」
 と答えた男子生徒などの報告も。
 「教わった内容を使い分けできない子供に
 どこまで必要なのか」と教育内容への疑問もあった。

 学校では寮側の困惑に一定の理解を示しつつも
 「悪いとしかるのでは羞恥心を
 しっかりと育てることにはつながらない」
 「自分の身体を触るのは自分の権利」などと説明。
 「気持ちいいと思うのを大事なことと
 肯定的にとらえて(自分の身体を触る)
 時間と場所を保障しましょう」
 などと寮側を“啓発”していた。

 保護者からも「新たな言葉を次々に覚え、
 校外で何の脈絡もなく
 子供が『セックス』などと口走り困る。
 わが子には性教育は不必要だ」
 といった訴えなどもあった。

 都教委指導部でも「そうした実態は
 学校関係者からの聞き取りや調査で相当判明しており、
 切実な声として深刻に受け止めている」と話しており、
 同校の正常化を急ぐとともに、
 保護者からの声にもさらに耳を傾けたいとしている。


七生養護学校は過激な性教育で知られ、
全国のその種の学校の「模範」となっていた。

しかし、父兄から苦情の声があがり、
平成15年7月、東京都教育委員会と
都議会議員らが同校に視察を行った。
古賀俊昭、田代ひろし、
土屋たかゆきの各都議会議員、
町田の大西宣也市議、日野の渡辺眞市議、
杉並の松浦芳子区議達。

東京都教委と各議委員たちは驚愕した。
教材として使われている性人形と道具の数々。

日野市渡辺眞市議の撮った写真

古賀俊昭都議の撮った写真

これに驚いた東京都教育委員会は
これらの性教育グッズを「不適切教材」として押収し
同校の教育正常化を働きかけた。
現在、七生養護学校では
過激性教育は鳴りを潜めてるという。

この押収された教材の中に一つのビデオがあった。
「こんなときはノー!といおう」という題名。

こんなときはノー!といおう

内容は、大人による子供への性的虐待を描いている。
小学校低学年の時に父親・兄・おじから、
性的被害を受けるというアニメビデオ。
このビデオは各地の小学校で見せられている。

以下、月刊『正論』平成15年9月号掲載、
古賀俊昭・土屋たかゆき両都議の文章から。

アダルトグッズが乱舞する教室

 父親に夜ベッドで本を読み聞かせてもらった、
 幼いころの思い出を持っている人も多いだろう。
 「こんなときはノー!といおう」(アー二ー出版)では、
 夜ベッドで添い寝をしながら本を読んでくれている父親が、
 娘の体を触る場面がある。
 その種のアダルトビデオではない。
 
 プロレスごっこをしている叔父さんが体を触る、
 兄が妹の風呂を覗く場面もある。
 娘や妹、姪に性的いたずらをする、
 3人の男が登場するこのビデオ、
 東京都町田市の小学校の授業で使われている。

 実践した教諭によれば、見知らぬ人への警戒心を
 今の小学生はある程度持っていると解説する。
 ところが、身近な人からの性被害に関しては
 どう対応したら良いのかを知らないために、
 近親からの性的虐待について、
 指導する必要があると力説する。
 
 相手は小学生だ。
 近親からのそうした事例はないとは言えないが、
 教室でその種のビデオを流す必要があるのだろうか。

 ある日突然、それも学校の授業の中で、
 お父さんが体を触る、お兄さんが
 風呂を覗く変質者に「なり得る」と教わった。
 お父さんは不潔、あんなに優しいお兄さんも
 何を考えているか分かったもんじゃない。
 「そばに寄らないでよ不潔!」ということになる。
 実際、町田市では、
 「今日からお父さんとお風呂に入らない」と
 父親を拒絶するようになった例もあるといい、
 現在、大西宣也市議が調査を実施している。


私がこの「こんなときはノー!といおう」を
試みにグーグルで検索してみたところ、
なんと、長野市の男女共同参画意識啓発用の
貸し出しビデオ一覧に入っている。
さらに、福岡県飯塚市の視聴覚ライブラリーの
ビデオ教材のリストにも入っている。

長野市:貸出用啓発ビデオ一覧表

飯塚市視聴覚ライブラリー:教材ビデオ

ちなみに、このビデオを作っているのが
性教育の教材製作を行っている「アーニー出版」。
代表は北沢杏子という人物。

北沢杏子と性を語る会

この人物は全国の小学校で
性教育の講師として引っ張りだことのこと。


まず、いくつかの事例をあげましたが、
この日本の教育界の性教育に
大きな影響力を持っているのが
「“人間と性”教育研究協議会」という団体。
略称「性教協」。
この団体を創設したのが故山本直英氏。

“人間と性”教育研究協議会/Seikyokyo

この山本氏に関しては、
前にジェンフリ考2の「尻尾の無い狐」で触れた。

ジェンダーフリー考 その2・・尻尾の無い狐

以下、再掲します。

日本のジェンダーフリーの論客で
今は故人となった山本直秀という人がいる。
あの宮台真司氏などと複数の共著がある。

この人物、性教育にえらく熱心で
教育研究協議会(略称・性教協)という教育団体を創設し、
ジェンダーフリー譲りの性教育と性的自己決定権を
年端もゆかぬ小中学生に鼓吹してまわった。
一連の過激性教育の風潮は、この人物の影響が大きい。

彼の年来の主張は

  「人類の21世紀におけるユートピアは
  『エロスコンミューン』の実現にある」

  「エロスとは、全ての人間の根底にある、
  人とのゆるぎない性的ふれあい」

  「コンミューンとは
  管理や抑圧や統治されることから自らを解放する、
  自覚的な個人と個人の共同体」

  「いつ誰とどんな状況で性交するかは
  まったくその人の生き方であって、
  人から指示されたり規制されたりすることのない、
  主体性にかかっている」

  「男と女とは、たとえ結婚に結びつかなくても、
  婚前でも、婚外でも、たとえ親子の不倫でも、師弟でも、
  まさに階級や身分や制度を越えて
  愛し合うことが可能なのである」

婚前でも、婚外でも、はたまた親子でも・・
絶句としかいいようがない。
それって近親相姦ってことでしょ。
こういう人物が教育現場で子どもに性教育を教えていた。

さて、この山本直英氏が信奉していたのが、
ジェンダーフリーの淵源の一人、ヴィルヘルム・ライヒ。

ヴィルヘルム・ライヒ。
フロイトのもっとも有能な弟子の一人。
マルクス主義と精神分析を総合し、性の全面開放を訴えた。
性的エネルギーの開放を阻害する道徳・制度などが、
性障害や神経症の原因であり、
抑圧を解き、性を開放することが
社会革命の根本と説いた。

ライヒ曰く、

  「結婚まで純潔を
  守らなければならないという考え方は
  ブルジョアが発明したものだ」

マルクス主義の影響がプンプンと臭っているね。

彼は家庭を壊すことが革命につながると考え、
家庭を壊すために性を解放する必要があると語った。

  「まっさきに保守主義の
  イデオロギー的雰囲気がはぐくまれる場所が
  権威主義的な家庭だ」

  「保守主義の考え方によれば
  家庭こそ基盤、つまり人間生活の中心というわけだ」

彼は意図的・戦略的に家庭を崩壊させ、
国家秩序・資本主義、
そして社会道徳の解体を構想した。

狂ってます。
狂ってるとしか思えません。
こういう人物がこの団体を創設し、
さらに日本の性教育に影響を与えている。

性教育グッズ秘宝館:
 「性教協」の先生による授業「実践報告」


「正論」平成15年12月号:
 過激性教育の“伝道者”たちよ、そんなに批判が怖いのか!


この「性教協」だが、運営資金を
性教育の書籍販売や、
学校の性教育テキストの監修を行うことで賄っている。

彼らが監修した教育テキストの中に
川崎市の男女共同参画センターが高校生向けに発行した、
「21世紀を生きるあなたへのメッセージ」がある。

21世紀を生きるあなたへのメッセージ

これは発行された当初、
週刊誌が取り上げて社会問題になった。
初版は平成13年3月。
改訂版は15年3月に発行されている。

以下、内容です。

◇性別について
 「女は・・・・」「男は・・・・」という言い方には
 ほとんど生物学的な根拠がないということになります。

◇セックスについて
 人間は妊娠の心配なく、
 セックスの喜びを味わえるように、
 避妊という方法を考え出しました。
 女性が子供を産みたいと思うときにだけ妊娠し、
 その他は快楽や安心感や生きるエネルギーを得るために
 セックスができるようになったのです。

◇自慰行為について
 この行為は自慰とかセルフプレジャーと
 表現されることもありますが、
 このテキストでは自分ひとりでする性行為という意味で、
 シングルセックスという言葉を使いたいと思います。

◇セックスはインサートだけではない
 女性が性的快感を得るところは、
 人によってもいろいろですが、
 その中でも男性のペニスに当たるクリトリスが
 最も敏感と言われています。

◇結婚について
 女性は「愛という名のもとに」喜んで自分よりも
 家族を優先することを強いられ、
 男性は強くたくましく弱音を吐かずに
 妻子を養っていくことを強いられてきたわけです。

◇Q&A
   
 Q:精液を飲んでも大丈夫ですか
 A:精液そのものには害はありませんが、
   性感染症があれば感染の危険があります。
   
 Q:器具を使ってやってもいいですか。
 A:快楽を得られるひとつの方法として
   考えたらどうでしょう。

 Q:10代でもピルの服用は大丈夫でしょうか。
 A:必ず産婦人科の先生に相談してください。
   月経周期が確立している人にとっては、
   10代でも適切な避妊方法のひとつです。

 Q:コンドームが破けてしまったときは
   どうすればいいのでしょう。
 A:排卵日前後にぶつかっているようなら婦人科に受診し、
   72時間以内なら緊急避妊という方法もあります。


ハイ、これが市が高校生に配った「教育本」です。
もう唖然です。

・・・それと、言っておきますが、
当ブログはエロブログではありません。
念のため。

川崎市市教委によると、このテキストを教材として
市職員が市内の高校で授業を行う「出前講座」が
平成13年度と14年度に5校で計7回実施され、
受講した生徒全員にテキストを配布したとのこと。

産経新聞の取材に市教委は当初、
「記述は指導要領の範囲内で問題はない」と釈明したが、
後になって「指導要領を大きくは逸脱していない」と修正。
「こうした教材が必要な生徒が個別にいるのは事実で、
回収や使用中止は全く考えていない」としている。


もう一つ、過激な性教育本をあげておきます。
物議をかもした「ラブ&ボディBOOK」。
厚生労働省が130万部作って全国の中学生に配布した。
中学生向けの「性教育」小冊子。
避妊方法を教え、特にピルの使用を勧める。

内容は以下。

 「ピルは男の子に頼らず女の子が
 自分で避妊できるのがメリット。
 世界中で広く使われている薬だよ」

 「月経が始まった日から21日間、
 毎日1錠ずつ飲むんだけど
 きとんと飲めば避妊効果抜群」

 「コンドームによる避妊は失敗が多いんだ。
 失敗率12%」

 「エッチな想像するのは正常なことだ。
 マスターベーションするのも悪いことじゃない」

 「もしきみが同性愛だと感じるのなら
 自分の正直な気持ちに従って生きていいと思う」

 「世の中には自分の子の性器をむりやりさわったり、
 セックスや性的行為を強要する親がいる。
 お母さんが息子に、ということもあるけど、
 圧倒的に被害にあっているのは女の子。
 相手は実の父や義理の父だったり、
 兄だったり、おじさんだったりする。
 これは親の性虐待、性暴力、性犯罪だ」

これでいいのか?性教育:
 思春期のためのラブ&ボディBOOK


これでいいのか?性教育:
 「ラブ&ボディBOOK」問題


ピルは副作用があり、若年から多用すると
不妊症になったりする危険性などには
全く触れられていない。

実はこの本、ピルの製薬会社8社が
発行に資金提供をしていた。

これに怒ったのが山谷えり子議員で、
国会でこの問題を取り上げ、
ついに厚生労働省はこの本の回収を表明した。
しかし、回収は不完全で
子供の手元に残ったままになったり、
ほとぼりが冷めたと言うことで再配布している学校もある。


さて、矢継ぎ早に実例をあげていきます。

◇横浜市立今宿小学校の過激な性教育。

3年生副教材「生命はどうやってできるか」

3年生用教材「いのちの単元構想」


◇京都府宇治市大開小学校の性教育

性教育プリント1

性教育プリント2


◇大阪府吹田市立西山田中学の性教育

のまりんの部屋:吹田市の性教育 ついに産経新聞に!

西山田中学:不適切教材!!!

西山田中学:出産フィルム上映


さてさて、いろいろ実例を挙げてきました。
最後に性教育総論といきます。

彼らが何故、こういう過激な性教育を
児童に施そうとしているのか?
理由は2つです。

1,子供の「性の自己決定権」の尊重

2,家庭と道徳の破壊

1は末端のジェンフリ信者が
常々口にする思想です。

 性の自己決定権:リプロダクティブ・ヘルス/ライツ

子供だろうが何だろうが
自分のことを自分で決定する権利がある。
性に対してもしかり。

ただ、彼らが恐れているのは「妊娠」です。
フリーセックスの推奨は必然的に妊娠につながる。
よって、性交渉の仕方や避妊の仕方を教え、
あるいは中絶について教え、
望まぬ妊娠から子供を守る必要がある。

こういう発想の順序で
彼らはどう考えても過激な性教育を
小学校低学年の児童に教え込むわけです。

次に2の「家庭と道徳の破壊」。
これはジェンフリの上級者用の思想です。

たとえば上述の
山本直秀氏のエロスコンミューンのように、
マルクス主義の影響を受けて、
現秩序と道徳を破壊しようとしています。
これが彼らの考える「革命」です。

おそらく、末端の連中は
こういう発想は知らないでしょう。
彼らは「性の自己決定権推進はいいことだ」と
無邪気にも思いこんでいます。

それを山本氏のような
マルクス主義的革命観を持った連中が
利用している構図です。

私がこの過激性教育で危惧するのは

 「羞恥心の消滅」

 「家庭と秩序の破壊」

この2つです。

過激性教育を行っている教師達が
判で押したように言う言葉が

 「性はいやらしくないものだ。
 それを子供に教えたい」

一見、まともな言葉に見えますが、
こういうあけすけな教育を実践していけば、
間違いなく性の神秘性は薄れ、
性に対する羞恥心も消えていくでしょう。

日本人の道徳は「恥」の文化だといいますが、
「恥ずかしいことをするな」という基準が消えたら、
それは日本という国の変質です。
もはや日本が日本では無くなると思います。

性が恥ずかしいものという意識が消えれば、
フリーセックスは当たり前になるでしょう。
夫婦の規範、恋人の規範も消えゆくでしょう。
そこから家庭の崩壊が始まります。

このブログの読者は
20代~40代が中心だと思いますが、
それよりも1世代から2世代下あたりが
この過激性教育の嵐を受けつつあります。

彼らは未来の日本を支える人材です。
もはや事態は取り返しのつかないところまで
来つつあります。


さて、次回は
この「ジェンダーフリー考」の最終回です。
ジェンダーフリーに対する総論と
各回で書ききれなかったことを補足として書きます。



新・国民の油断
 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす
 西尾 幹二 (著), 八木 秀次 (著)


のまりんの部屋

これでいいのか?性教育-教室はアダルトショップ-

長尾誠夫のHOTPAGE

人づくり県民ネットワーク

山谷えり子議員サイト

国際派日本人養成講座:
 山谷えり子 ~ お母さん議員、奮闘す


フェミナチを監視する掲示板

税金で言いたい放題!やりたい放題!の
 フェミたちを晒すサイト


産経Web:教育を考える


娘通信♪関連過去記事
ジェンダーフリー考 その7・・教育の惨状(中編)
ジェンダーフリー考 その6・・教育の惨状(前編)
ジェンダーフリー考 その5・・ブレンダと呼ばれた少年
ジェンダーフリー考 その4・・保守の油断(後編)
ジェンダーフリー考 その3・・保守の油断(前編)
ジェンダーフリー考 その2・・尻尾の無い狐
ジェンダーフリー考 その1・・堂本県政の狂思想

左翼最後の悪あがき:「無防備地域宣言」運動。
ドイツと欧州、左翼思想と国家の衰弱。
外国人地方参政権問題その4・・オランダの荒廃。
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by misaki80sw | 2005-03-28 20:51 | 反ジェンフリ・反フェミニズム

さて、今回は実際の教育現場における、
ジェンダーフリー思想の浸透を書きます。

まず、前置きとして書いておきますと
ジェンダーフリーが学校現場に浸透する場合、
だいたい、以下のパターンをとります。

◇男女混合名簿の実施
    ↓
◇男女の呼称を「さん」で統一
    ↓
◇男女別学の廃止
    ↓
◇男女混合体育
    ↓
◇混合の着替え
    ↓
◇修学旅行などの男女同室の宿泊
    ↓
◇男女別の色の否定(学生服・体操服)
    ↓
◇過激な性教育の推進(具体的な絵や人形を使って)

「男女混合名簿」というのは、
生徒の名簿が男女別に分かれていて
必ず男が先にくるのは「男女差別だ!」という発想で、
男女を混合させ、50音順の名簿を作ること。

区別と差別の違いも分からない哀れな発想だけど、
ジェンダーフリー論者が教育への浸透を狙う場合、
必ずここから入る、いわば彼らの初歩的戦術。

この「男女混合名簿」を基点として
だいたい以上のような流れで汚染が進行していく。
「学校ジェンフリ度早見表」みたいなもんですな。

さて、これを前提として
いくつかの教育現場の実例を書いていきます。


<国立市の小学校>

国立市は、卒業式での国旗掲揚をめぐって
小学生が校長に土下座を迫るなど、
いまや全国の左翼の理想郷と化した市だが、
ジェンダーフリー教育や過激な性教育でも
一大拠点となっている。

こうした理想郷を育むために
ジェンダーフリー論者の教師達が
最初に手をつけたのが「男女混合名簿闘争」なるのもの。

この経緯は、
「どうして、いつも男が先なの?―男女混合名簿の試み」
(新評論刊:平成九年)という本に詳しい。
編者は「男女平等教育をすすめる会」で、
国立市で男女混合名簿運動に血道を上げてきた、
左翼組合教師の集団である。

ちなみに、この本の出版には
東京女性財団の助成金が使われた。
この東京女性財団は東京都の外郭団体。
助成と称して、左翼系・ジェンダーフリー系の事業・刊行物に
毎年億単位の資金を供給してきた。
これに怒った石原都知事が
平成12年に東京女性財団を廃止した。

さて、ジェンフリ教師らの「男女混合名簿闘争」。
まず、国立市の小学校一年担当のある女教師が
男子生徒が先だったクラスの名簿を、女子を先にした。
ここが全ての始まり。
次に、女教師は男女混合名簿に切り替える。
さらに朝礼で、それまでの男一列・女一列から、
男女混合で各クラス二列に並ばせるようにした。

教師らは周囲の抵抗を押し切って、
学校の中に男女混合を順次取り入れてゆく。
男女混合はやがて運動会に及ぶ。
はじめは組体操・騎馬戦程度だつたが、
結局徒競走もリレーも男女混合になり、
最終的に運動会から
男女別種目を抹殺することに成功する。

さらに、入学式や卒業式にも男女混合を持ち込む。
式の入退場、座席順、卒業証書の受取り順、
すべて男女混合。

ある女性教師の言葉。

  「学級で、児童会で、クラブで、
  学校行事で、男女の区別をなくした。
  教師のちょとしたアドバイスで、
  子どもたちは『らしさ』や
  役割分業のしがらみを飛び越えた。」

男子に「頑張れ」と激励すると、
男らしく頑張ってしまうので、
男子には「頑張れ」と言うのは禁句になった。

  「歌なんかは『僕』って言葉がすごく多いの。
  頭にくるほど『僕』が多いの。
  『僕』のない歌を探すくらい。
  『私』ではなくて『君と僕』とかね。
  それをパッと見たりするとムラムラして。」

やがて彼女らは、混合名簿を実施したクラスの生徒に
アンケートを取った。

 Q,男女混合名簿は
   男女平等の考え方につながると思いますか?

 A,回答
            女   男
  ・思う       16  12
  ・思わない     0   2
  ・わからない    1   0

嗚呼、これぞ洗脳効果。
2名の勇気ある男子生徒を誉めてあげたい。

「男女混合名簿闘争」に勝利した彼女らは、
続々と国立市内の小学校を
ジェンダーフリーに染め上げていく。
この様子は「学校をジェンダーフリーに」(明石書店)
という本に詳しく載っている。

1,消えた「どろんこまつり」

小学校6年生の教科書(光村図書)に
「どろんこまつり」(今江詳智作)という作品が載っていた。
気弱で「女っぽい」男の子と、
お転婆で「男っぽい」女の子が、
最後にどちらも本来の男の子・女の子に立ち戻るという物語。
これがジェンフリ教師達の逆鱗に触れた。

  「『らしさ』に『立ちもどる』ことにより、
  女も男も幸せになれるといった内容の、
  性差別をあまりにも強く全面に出している作品で、
  このまま見過すことはできないと思われた」

彼女らは早速、光村図書出版の担当者を呼んで
「話し合い」と称する糾弾集会を開催。
教科書の採択権は事実上、教員組合が握っているため、
これをカサにきたつるし上げを行った。

結局、光村図書は教師らの脅しに屈して
次のような回答書を提出する。

◇女性の書き手を増やし、
  三分の一以上は女性の作品にしたい。
◇子どもの作文も、男女同数にしてゆく。
◇女の子が活躍する文学作品を取り上げてゆく。
◇イラストも女性の描いたものを載せるよう考慮したい。

そしてこの作品は次の教科書から掲載されなくなった。


2,学芸会でフェミニズム童話を上演

小学校の学芸会での演劇。

  「女の子が主人公の作品が極端に少なく、
  あっても女の登場人物は役割分業そのもの、
  美しいお姫様や優しいお母さんといった具合。」

そこで、有名なフェミニズム童話、
「アリーテ姫の冒険」を上演することになった。

  「アリーテ姫はかしこくて勇気のある女の子、
  しかも乗馬うまく、いわゆる男らしい特技だけではなく、
  縫い物をし、絵を書きダンスをするのが好きという、
  女の子らしい特技も備えている」

原作『アリーテ姫の冒険』について

問題なのは事前の指導である。
授業で「女はかしこくない方がいいか」という、
ショッキングなテーマを取り上げて
3つの事を生徒に考えさせた。

  「女はかしこくなんかない方がいい」
  という王様の言葉から
  女のあるべき姿と社会的偏見について考える。

  難題を解決する冒険の過程の中で、
  力、武器を使わなかったことから
  何が本当の力かを考える。

  お姫様が登場するほかの童話との違いに気づき、
  どちらのお姫様が生き生きとして
  魅力的かを感じ取らせる。

女性に対する偏見と差別。
力や武器に頼らない平和的な行動。
行動する女性は素晴らしい。
この3パターンを
劇を素材として生徒にたたき込んだ。


3,男女混合の運動会

男女の性差を無視して、
運動会の競技すら混合で行った、

  「学校行事の運動会は、
  整列・行進をはじめとして徒競走や組体操までも
  意味もなく女と男を分けるようになる」
  
  「ブルマーの女の子と
  ショートパンツの男の子が入り交じってるよりは、
  整然と分かれてる方が見た目には確かにきれいである。
  そろってるからだ。
  このそろってることがきれいという美意識は、
  実は上からマスを見下ろす教師と
  観客である大人たちのものであり、
  主役である子供達のものではない」

などという意味不明の理屈を並べ立てて、
選手リレー・ダンス・騎馬戦、
さらには応援団に至るまで、
全てを男女混合で行うようになった。


4,「男女平等教育指導手引」の作成。

国立市は現場の教員などをメンバーとする、
「男女平等教育推進委員会」を発足させ、
「男女平等教育指導手引」を作成した。

この「男女平等教育指導手引」。
内容はジェンダーフリーに満ちている。
この中に「ジェンダーチェック」ってのが載っている。
まあ、ご覧くださいな。

国立市男女平等教育指導手引P.59~:
 ジェンダーチェック


さらに、こちらもどうぞ↓

「国立市教委男女平等教育指導手引」に見る家族像


国立の小学校は
かくして急速にジェンダーフリーに汚染されていく。

この男女混合名簿闘争から十数年後。
男女混合名簿の実施率は小学校でほぼ100%に達し、
国旗国歌の実施率は0%になった。

そして、各校で学級崩壊が起きた。

  国立市の小学校の朝礼を見ると、
  児童がまっすぐ並んでいないで
  蛇行しているクラスが多い。
  これは『前に習え』が軍隊的だからと、
  組合教師が号令を拒否しているためだという。
  あるいは、授業の始めの
  『起立』『礼』も軍隊的だからとしない。
  だからいつの間にか授業が始まり、けじめもない。

  先生が教室に入ってきても騒然としており、
  授業が始まっても平気で、
  後ろを向いて友達と私語を交わしている子どもが多い。
  それに先生が注意をしようともしない光景を見て驚いたが、
  先生は全く無関心で授業を行っている。

  「正論」平成13年3月号「国立通信第5弾」


ジェンフリ教師達は男女の区別を無くし、
生徒指導や規律を廃止してしまった。
教室は授業を聞く場でなくなった。

生徒の父兄達は事の異常さに驚き、
東京都教育委員会が指導に乗り出したが、
いまだ正常化の見通しはたっていない。

ちなみに、国立市の公立学校教師の多くは、
自分の子供を私立に通わせている。
馬鹿な話しだ。
農家が、農薬漬けの農産物を市場に出して
自宅で食べるものには農薬を使わないことに似ている。


さて、次は福島県の橘高校の例をあげます。

<橘高校のジェンダーフリー教育>

橘高校は、かつては女子校で
福島県女子高等学校というエリート校だった。

ここが男女共学になり、校名を変更すると共に、
ジェンダーフリーを教育に取り入れた。

この学校の方針は以下。

◎名簿は男女混合名簿にする。

 ◇ジェンダー・バイアスの象徴である、
  「男子優先名簿」は採用しない。
 ◇「呼名」をする場合(入学式、卒業式、表彰式等)、
  男子を先、女子を後にするようなことはしない。
 
◎座席は、男女を別々にまとめない。
 
 ◇教室内で座席を決める場合には、
  名簿順とか無作為に決めた座席とし、
  意識的・意図的に男女を分けない。
 ◇自主的に集合する場合にも、
  同性同士で「かたまり」を作らせないように配慮する。
 
◎整列させる場合、男女別にしない。

 ◇「男子を優先」し又は
  「男子・女子と分ける」するような整列のさせ方をしない。
 ◇視野を確保する必要がある場合には、
  身長の順にすれば良い。
 
◎男女別の部編成には合理的根拠を示す。

 ◇男女別の部を設置する場合には、
  その合理的根拠を明示する。
 ◇部内の役割を決める場合
  (マネージャーの設置、オーケストラ楽器の分担等)、
  合宿を行う場合「性役割分業」(炊事は女子の役割等)を
  固定してはならない。
 
◎「制服」を男女同型とする。

 ◇男女同型のブレザーを「標準服」とする。
 ◇男女同型にし、女性に「スカートをはくべし」とする、
  暗黙のうちに強制・受容されてきた「男女特性論」を
  排除するというメッセージを含む。
  
◎下足箱、ロッカーの配置も男女別にしない。

 ◇これらを男女別にする合理的根拠は見あたらない。
 ◇更衣室は厳格に区分けする必要がある。
  
◎性別による「色分け」は行わない。

 ◇運動着(水着を含む)、
  ユニフォーム等を購入させる場合、
  男子は「寒色系」、女子は「暖色系」と
  区分けする合理的根拠はない。
 ◇既に保健体育科では、
  ユニフォームは男女同色としている。

◎男女別クラスを作らない。

 原則として男女別クラスを作らない。

◎進路指導では「トラッキング(tracking)」に留意すること。

 ◇授業者、指導者が「性役割分業(分担)論」
  「男女特性論」に基づいた指導をしないように配慮する。
 ◇根拠のない「特性論」により
  (「女の幸せは・・・だ」とか、
   専業主婦を無批判的、無条件に支持する等)、
  生徒の個別的能力の伸張を阻害してはならない。

◎性別カリキュラムは原則として採用しない。

 家庭科は、男女共修を原則とするので、
 男女別履修をさせる根拠は見あたらない。

◎校務分掌の任命に当たっては、構成比に配慮する。

 ◇男女別教員定数をどうするかを考慮する。
 ◇校務分掌上、男性教員を「優先」するような
  配置をしてはならない。

◎セクシュアル・ハラスメント及び性的暴力は
 絶対許してはならない。

◎授業展開過程でジェンダー平等を意識すること
   ・
 ◇指名が片方の性に偏らないこと。
 ◇生徒の発言内容、発想に
  ジェンダーの視点が欠ける場合には、
  教科を超えて指導の対象とする。
 ◇女子を「さん」付け、男子を「君」付けと
  呼び分けすることをしない。
 ◇教師自らが、無意識のうちに使用している差別語、
  例えば、「父兄」「主人・家内」といった呼称に
  細心の注意を払う。
 
◎学校、学級行事等で「性役割分業」を黙示的に継承しない
 
 ◇生徒会役員、学級役員、応援団(幹部)を決める場合、
  男子優先を固定しないこと。
  応援団に男子生徒が入って来ることで、
  女子は即チア・リーダーという短絡的発想を排除する。
  応援団の女子生徒の羽織袴姿は
  本校では不思議な光景ではない。

◎生徒指導の面で差別を助長しないこと。
 
 ◇励まし方(「男らしくしろ」等)にも
  善意からであっても無意識に
  ジェンダー・バイアスが入ることがあるので
  細心の注意を払う。
 ◇叱責する場合(「女らしくない」等)にも、
  ジェンダー・バイアスが出やすいので注意を要する。

◎性教育は、計画に従って行う。

 性教育は、特定の分掌・教科にのみ任せるのではなく、
 全教職員が、あらゆる機会を利用して
 全校的に意識的・意図的かつ組織的に行う。


福島県立橘高等学校HP

新生男女共学「橘高等学校」で、
 「男女共同参画社会形成に資する教育」をどう展開するか


「標準服」設定にあたって


以上です。

徹底しています。
凄まじい限りです。
こういう学校で学んだらどうなるんでしょうかね?

それ以前に、この学校は県立校なわけで
県民の税金で運営されています。
こういうことをやっていいのでしょうか?

この件に関する産経新聞の記事↓

福島県教委「ジェンダーフリー」掲げる県立高
 表現見直しを指導


まあ、この記事にも書いてるけど、
橘高校は福島県教委に
「ジェンダーフリーという言葉は使うな」と指導され、
「ジェンダー平等」という言葉に置き換えたとのこと。
アホらし。
全く意味なし。

ある意味、ジェンダーフリーを徹底したら
どういう学校になるかという見本のような学校です。


さて、お次は神奈川県のジェンフリ教師の
トンデモ論文を紹介します。

前述した「学校をジェンダーフリーに」(明石書店)
という本に載っていて
あまりにも馬鹿馬鹿しいので紹介しておきます。

<女子マネージャー撤廃論>

 高校生にとってモテるというのは重要なことである。
 ある者はスレンダーな体になるために
 摂食障害におちいる。
 またある者は、お金の力に頼りたくてバイトに明け暮れ、
 使い捨て低賃金労働者として搾取される。 
 モテたいがために本来あるべき自分の姿を
 不本意な形でねじまげてしまうことはよくあることだ。
 この文脈上に女子マネージャーがいる。
 
 家庭や学校で繰り返し繰り返し
 男と女は違うというメッセージを送られつづけ、
 その与えられた価値観により
 モテることを選ぼうとするときに
 ゛好きで゛マネージャーを選ぶ生徒が生み出される。
 
 つまり、女子マネージャーは強制ではないが、
 性差別社会において刷りこまれた意識によって
 ゛選び取らされた結果゛として存在する。
 いったいどこに自らすすんで
 自分を中心部ではなく
 周辺部に置きたがる人がいるだろうか。
 本来ならば、選手として関わりたいと思うはずなのに、
 女子マネージャーが後を絶たないのは、
 男達の裏方に回ることがむしろ高く評価されることを
 彼女たちが知っているからである。
 
 自分がメインステージに立たず
 他者に夢を託すという彼女たちの姿は、
 夫や子供に夢をたくす゛妻゛や゛母゛の姿に見事に重なる。
 こうして、女たちは自らの糧を自らで得るという、
 当たり前のことができなくなり、家庭に囲い込まれ、
 自分自身を生きることを辞めてしまうのである。
 

だそうです。

こういう人間が教師をやり、
生徒を指導してるわけです。

この論文は神奈川県の教員組合の大会で発表され、
いろいろと反響を呼んだとのこと。
さらに朝日新聞でも取り上げられたとのこと。

 いったいどこに自らすすんで
 自分を中心部ではなく
 周辺部に置きたがる人がいるだろうか。

 自分がメインステージに立たず
 他者に夢を託すという彼女たちの姿は、
 夫や子供に夢をたくす、
 ゛妻゛や゛母゛の姿に見事に重なる。

この人は「献身の美徳」の価値が
さっぱり分からない人なんでしょう。
はなっから女子マネージャー志望者は
「モテること」が目的と決めつけている。
哀れな人だね。


さてさて、3つの事例をあげました
他にもいろいろ載せたいことはありましたが
誌面の都合で端折らせてもらいました。

今や日本全国で、程度の差はあれ、
この種の教育が行われている。
前回の「教育の惨状(前編)」で書いたとおり、
偏向教科書を元にして、これまた偏向教師達が
日夜、この思想の刷り込みに狂奔している。

こういう教育現場におけるジェンダーフリーの浸透は、
常識人やまっとうな発想を持った人間からすると
あまりにも奇異な内容に映る。
何故、かくも常識からかけ離れた教育が
あちこちで展開されるのか?

理由は2つです。

1,教職員組合(特に日教組)が
  ジェンダーフリー推進を運動方針としていること。

2,文部科学省がこの動きを後押ししていること。

組合と監督官庁が
ジェンダーフリーに偏向している。
それじゃあ、ああいう教育になるのが当たり前。

日教組は積極的に
ジェンダーフリー教育を推進している。
90年代の社会主義圏の崩壊により、
理念を見失ってしまった彼らだが、
今やジェンダーフリーという新たな思想を手に入れて、
嬉々として全国の教育現場で生徒を洗脳している。

日教組教研集会「ジェンダーフリー」報告

日教組:ジェンダーフリーパンフレット

さらに文部科学省。
男女共同参画基本法の成立後、
自らの進めてきた「ゆとり教育」の失敗を糊塗するためか、
彼らもジェンダーフリーには熱心である。
もっとも彼らはジェンダーフリーとは言わない。
単に「ジェンダー」と言うか、
「男女共同参画」という言葉を使っている。

彼らの偏向事例を2つあげておく。

文部科学省が推進する、
「ゼロ歳児からのジェンダー教育推進事業」。
赤ん坊のうちからジェンダーフリーの
精神を身につけさせようという試みで、
全国の幼稚園や民間団体になどに委嘱して
幼稚園児にジェンダーフリー教育を行っている。

昨年、香川県の幼稚園では同事業の一環として
ジェンダーフリー人形劇を上演した。

以下、四国新聞の記事。

☆子ども本来の力を、偏見で押しつぶさないで―。

 「子どもと女性のエンパワーメント香川」
 (宮内大子代表)が二十八日、
 高松市屋島中町ののぞみ幼稚園(樫村エミ園長)で、
 ジェンダーフリーに関する人形劇を上演。
 四歳児十五人に「男だから、女だからというイメージで
 役割を決めつけないで」と訴えた。

 ジェンダーフリーとは
 男はたくましく、女は優しくといった、
 文化的、社会的に作られた性差にとらわれない考え方。
 同団体は偏見や差別が、人間が持って生まれた力を
 十分発揮できなくするという考え方に基づき、
 文部科学省から委嘱を受けて
 「〇歳からのジェンダー教育推進事業」を行っている。

もう一例。

文部科学省が設立した、
埼玉県の「独立行政法人国立女性教育会館」。
独立行政法人となっているが、
実際は税金で運営されている。

通称「ヌエック」と呼ばれていて
全国のジェンダーフリーの総本山みたいな建物。
ここでジェンダーフリー関連の
講演やセミナー、果ては教師の研修などが行われている。

毎年8月になると、
この女性教育会館最大のイベントが開催される。
「女性学・ジェンダー研究フォーラム」。
これに日本全国からフェミニスト団体、
ジェンダーフリー活動家らが集まってきて、
ジェンダーフリー教育、性教育、
ドメスティック・バイオレンス、従軍慰安婦など
いかにもそれ系のテーマで討論や発表を行われている。

この建物を管轄しているのが
文部科学省生涯学習局男女共同参画学習課。

そうです。
お国が税金を使って
ジェンダーフリーを後押ししているわけです。


文部科学省+日教組。
この2つがタッグを組めば
教育現場にジェンダーフリーが浸透するのは
ある意味、当たり前な話し。

この流れに抵抗しているのは
真っ当な感覚をもった硬骨な教師と地方議会の議員、
それに事態の深刻さに気づいた一部の父兄たちのみ。

教育現場の惨状は
かくも根深く日本を覆っている。


さて、次回は、
教育現場での過激な性教育の実態を書きます。
まあ、もの凄い内容です。
皆様、覚悟しておいてください。



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新・国民の油断
 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす
 西尾 幹二 (著), 八木 秀次 (著)



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by misaki80sw | 2005-03-25 02:30 | 反ジェンフリ・反フェミニズム

今回は、ジェンダーフリー思想の
教育分野への浸透を書いていきます。

これに関しては
かなりな文量になりましたので
「前編」「中編」「後編」の3回に分けて連載します。

◇教科書の惨状

◇男女の性差を否定する教育現場

◇過激な性教育+教育総論

今回の前編は、「教科書の惨状」について。


生まれ持った男女の性差を否定し、
そんなものは教育や文化・伝統によって
押しつけられたものに過ぎないとジェンダーフリー論者は言う。
そして、その性差を解消することが必要であると
彼らは主張する。

教育の場において、
この狂った思想がどのくらい浸透しているのか?
それは教科書を見れば一目瞭然。
ひどいものです。
半ば制圧されたと言っていい。

特に、家庭科の教科書がひどい。
世の中の父兄達は、家庭科というと
家庭を築くための理念や技能を教える科目だと
思っているのだろうが、現実は全く違う。

今、家庭科教科書の約半数に
「ジェンダーフリー」という名称が記載されている。
教育図書、実教出版、開隆堂、
第一学習社、教育図書、大修館

さらに男女の性差を本来無いものとし、
伝統的な家族や夫婦のあり方を否定する記述が
堂々と記載されている。

以下、実例をあげます。


◇『家庭基盤』 実教出版

 近年は、結婚しても家庭をもつことが
 あたりまえという考え方から、
 さまざまな生き方の選択を認め
 多様な家族のあり方が受け入れらるようになった。

 別姓を選択する夫婦、
 「家」制度を継承する先祖代々の墓に入るのをさけて
 夫婦の墓や共同墓地をつくる人たちも増えている。

 家族に対する柔軟な考え方は
 多様な暮らしを認め合う社会をつくる。
 親子や夫婦がさまざまな事情で別居しながら、
 協力関係をきずいてる家族や、
 親族でない者同士が
 共同生活者として一緒に暮らしてる世帯も、
 特別な例とは受け取られなくなった。


◇『家庭一般21』 実教出版

 日本は欧米先進国と比較しても
 離婚率はあまり高くない。
 では、日本の夫婦関係は良好かといえば、
 そうともいえない。
 
 離婚後の経済事情を考えれば
 結婚生活をつづけざるをえないケースなども
 あるからである。

 離婚、一人親家庭、夫婦別姓、未婚の母、
 事実婚には抵抗感がうすらいでるが、
 同性カップルにはまだ抵抗感が強い。

 専業主婦として、
 日中家で子供と過ごす母親は
 生き甲斐は子供だけになり、
 いっぽうで孤立感やいらだちを募らせる。
 子供は友達との関係が築けなくなる。

 最近では、母性と父性、
 母親役割と父親役割を明確にせず、
 やさしさやきびしさ、受容性と規範性は
 母親も父親ももちあわせているとの
 考え方がなされている。
 家事も育児も習熟すればどちらでもできることであり、
 男女共通に親役割をになうところから、
 親性が育つと考えられている。

 100%安全で、確実な避妊法が無い現在では
 望まない妊娠の可能性はつねにある。
 やむをえず産めない場合には母体保護法において
 人工妊娠中絶という方法を選択することもあるだろう。
 こうした選択肢は、
 女性の基本的人権の一つとしてとらえることができる。


◇『家庭総合』 関隆堂

 長い間、家庭のことは、
 女性が受けもつとされてきました。
 しかし、今、世界中が、
 性別で役割を固定することなく、
 自らの意思のもとに、家庭にも祉会にも
 参画する社会をめざして取り組みを始めています。
 性に関係なく、だれもが
 家族・地域・祉会に参画する視点から学びます。

 日本では「男は仕事、女は家庭」と、
 性別で役割を固定してみる割合は、
 若い層を中心に減ってきている。
 しかし、諸外国に比べると賛成する人の割合は高く、
 性別役割分業の意識はいまだ根強い。

 性別役割分業の撤廃は
 21世紀の世界共通の課題といえる

 夫婦はたがいの協力で
 家庭を築いていく対等な間柄である。
 しかし、「男は仕事、女は家事・育児」という、
 性別役割分業の定着は、
 実質的な男性優位の状況を生みだした。

 収入のある人と収入のない人の関係は、
 家族のなかで力(権力)をもつ人と、
 もたない人を生じさせる。
 ドメスティック・バイオレンスなど、
 今日的問題となっている現象は、
 家族のなかの力関係が
 反映されていると考えることもできる


◇『家庭総合』 東京書籍

 それぞれの人が家族と考える範囲は
 人によってそれぞれ異なっている。
 多くの場合、父、母、祖父、祖母、兄弟、
 夫、妻など、結婚や血縁などによって
 自分とのつながりの深い人々を家族と考えている。

 しかし、たとえば祖母は孫を家族と考えていても、
 孫は祖母を家族と考えない場合もあるだろう。
 家族の範囲は全員が
 一致しているとは限らないのである。
 犬や猫のペットを
 大切な家族の一員と考える人もいる。


こんな感じです。
ひどい内容です。

執筆者の意図はミエミエ。
伝統的な家族や夫婦のあり方を否定的に書き、
男女の分業体制をあたかも悪いことにように言う。
特に専業主婦を貶める。

彼らは専業主婦とその子供の関係に関して、
よく「母子癒着」という言葉を使い、
母親の育児ノイローゼや児童虐待を生み出すと書く。

「父性」「母性」という言葉を否定的に書き、
「育児性」「親性」という言葉に置き換える。

教科書以上に露骨なのは、
教科書付属の教師用の虎の巻である「指導資料」。
こっちの内容がひどい。

◇『家庭一般21:指導資料』 実教出版 

 日本の家庭生活についての満足度は
 諸外国と比べて決して高くない。
 家族は、親密性と同時に
 抑圧感をもたらしているのである。

 家族の抑圧感は、
 一つには家族役割の固定化から生じている。
 女は家庭で家事・育児・介護に、
 男は社会で仕事に従事するという性別役割分業体制が
 母親の育児ノイローゼや空の巣症候群、
 父親の蒸発や退職後の喪失感を生み出している。

 “愛がなければ性交してはいけないんだよ”
 という考えの押しつけがあってはいけない

これなんか衝撃そのもの。

 家族と性別役割分業
    ↓
 ◎家族の抑圧感
 ◎母親の育児ノイローゼや空の巣症候群、
 ◎父親の蒸発や退職後の喪失感

この公式を教え込もうとしている。
さらに愛無き性行為の助長。

いまだ規範や倫理の骨格が定まっていない小中高生に
ジェンダーフリー思想を刷り込み、
伝統的な家族のあり方や性規範を
破壊しようとしている。

こういう教科書がよく検定に通ったと思うよ。
この状態では「検定」って何の意味があるのか?

ジェンダーフリーに汚染されているのは
何も家庭科の教科書だけではない。
現代社会・倫理・政治経済、さらには国語や英語まで
ありとあらゆる教科書に
ジェンダーフリーが登場する。

では次に、国語の実例をあげましょう。

◇『伝え合う言葉』 教育出版

 *青木やよひ:執筆
  「ちょっと変じゃない?」という文章。
  実はこの人、60年安保の闘士で
  バリバリのジェンダーフリー論者。

 ほんと、大人ってよく言うんだよね。
 「男の子らしくない」「女の子らしくない」って。
 どうして日本の大人は「女らしさ」「男らしさ」に
 あんなにこだわるんだろう?
 だいたい正体も確かめず人に押しつけるなんて
 おかしいよね。

 子どもが気にいらないことをすると、
 “らしさ”を押しつけてくる。
 おてんばな女の子や、内気な男の子のほうが、
 大人になっていい仕事をするっていう説もある

 (21世紀は)よその国の人々や
 地球上の他の生き物たちとも、
 共存していかなければならない。
 女だから・男だからという考えにこだわっていると、
 違う文化の人々ともうまくつき合えない。

 差別の根っこというものは、
 自分でも気づかずに人の心の奥深くでつながっている。
 お互いの違いはしっかり認め合い、
 そのうえで対等な立場から相手を理解し、
 協力することが大切。


こういう人に教科書に記述させる意図は何だろうか?

「お互いの違いはしっかり認め合い」と言いつつ、
男らしさ・女らしさを懸命に否定しようとする。
この論理倒錯ぶりはジェンダーフリーの典型そのもの。


もう一つ、国語の教科書をあげておく。
こっちには日本のジェンダーフリー論者の
論拠の一つとなっている「ミード説」について書いてある。

「ミード説」とは、マーガレット・ミードという人物が
ニューギニアで行った研究がもとになっている。
ミードは「現地のチャンプリ族は
男女の役割分担が逆転しているように見えた」
という内容を本に著した。
それがフェミニストにより
「性別役割は文化、社会だけで決定される」との
見解にまとめられた。

◇『展開 国語総合』 桐原書店

 *「ジェンダーの視点から」という評論。
  「メンズリブ」代表で
  大阪大学教授である伊藤公男氏が書いた。

 ミードの議論は、
 男らしさや女らしさが文化によって変化すること、
 つまり、男性役割や女性役割が
 文化や社会によって作られたものであること
 を明らかにした点で画期的な研究だった

 生後のしつけや教育によって生物学的な性が強化され、
 またどちらかの性で生きるか決められることもある

 男女に性差はない。
 ジェンダーが人為的に作られたものならば、
 それを人為的に変えることもできる。
 固定的な役割分担は女性差別である。


この「ミード説」というものは
前に解説した「マネー理論」と同じで、

ジェンダーフリー考 その5・・ブレンダと呼ばれた少年

すでに米国では破綻した説に過ぎない。

ミードのチャンプリ族研究は
その後の再調査によって
誤りであったことが判明している。

米国のフェミニスト社会学者の
ジェシー・バーナードは

 男と女に使われている形容詞に注意を払わずに読めば、
 チャンプリ族は他の種族と変わらないのではないか。
 狩人は男であり、子供に食事を与えているのは女である。
 男女の役割が逆転しているように示しているのは
 ミードが使っている形容詞のみである

と述べている。

ミード自身も
「自分は性差の存在を否定するような実例を
見つけたなどとは、どこにも書いた覚えはない」
と述べている。

要は、フェミニスト達が
自らの論理補強に勝手に利用しただけ。

しかし、これも「マネー理論」と同じく、
日本のジェンダーフリー論者達は
この説を後生大事に抱え、
いまだに自分たちの思想の論拠としている。

まあ、彼女らが狂うのは勝手だが、
その破綻した学説が
何故、国語の教科書に掲載されるのか?
何故、子供達に教えられなければならないのか?

かくなる教科書の惨状。
しかし、これを是正しようとする動きも起きている。
以下、産経新聞の平成16年11月の記事。

ジェンダーフリー教科書「見直しが必要」文科政務官

 妊娠中絶や離婚を肯定的に表現している、
 高校の家庭科教科書などが
 検定を通過していることについて、
 下村博文・文部科学政務官は十七日、
 学習指導要領の見直しを含めた対応を
 とる考えを明らかにした。
 参議院「少子高齢社会に関する調査会」で
 山谷えり子委員(自民)の質問に答えた。

 下村政務官は、離婚や浮気を肯定したり、
 同性婚や人工中絶を基本的人権と
 表現している高校の家庭科教科書が、
 不適切ではないかとの指摘に
 「その可能性は十分ある」とした。

 その上で「文部科学省の中において、
 学習指導要領の在り方を含め、
 もう一度見直していくことは必要と思っている」と
 過激な性教育や性差を否定するジェンダーフリー思想が
 教科書に盛り込まれている現状に
 対応が必要との考えを示した。

おうおう、早いとこ対応してくれ。
っていうか、今まで何をしてたんだよ、文部科学省!


教育の要であり、
学習の基本である教科書がこの有様です。
もう呆然としか言いようがない。
完全にジェンダーフリーに汚染されている。

国会での山谷えり子議員の質問など
是正の動きもあるけれど、
そのスピードはあまりにも遅々としていて歯がゆく感じる。

私は、この勢力の教育分野への浸透ぶりに
危機感を感じざるをえない。
男女共同参画基本法の成立や、
内閣府の中に存在する男女共同参画会議のような、
国家の根幹の部分を
ジェンダーフリー論者に握られた「劣勢」を
嘆かざるをえない。


さて、次回は、
教育現場でのジェンダーフリー思想の浸透を
具体例や個別の学校名をあげて書きます。



Web版「正論」:
 子供たちに家族解体を教え込む教科書の恐怖


教育基本法改正案、会期延長なら提出
 下村文科政務官


のまりんの部屋:山谷参議の国会質問

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by misaki80sw | 2005-03-23 00:09 | 反ジェンフリ・反フェミニズム
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ジェンダーフリー論者は、男らしさ・女らしさというのは
環境によって作られるものであり、
本来、人間には生物的に男女の差などない、と主張する。

まあ、私なんかから見ると
どう考えても妄想としか思えず、
「虚構の論理」を崇めている信徒のように見える。

その日本のジェンダーフリー論者が
己の思想の論拠としているのが
「マネー理論」と呼ばれるもの。

ジェンダーフリー論者の拠点で
公費で設立された国立女性教育会館が編集した、
「女性学教育・学習ハンドブック
ジェンダーフリーな社会をめざして」
という本の中には、

  社会的に自分は
  「女である」「男である」と認識することを
  ジェンダー・アイデンティティ(性自認)という。
  解剖学的な性と性自認とが一致しない場合がある。
  
  J・マネーはその著「性の署名」の中で、
  長い間女の子として育てられた子供は、
  たとえ解剖学的に男の子であっても
  女の子として性自認が形成されているので
  女の子としての役割を習得する。

  つまり性自認の方が解剖学的な性よりも
  強力である事例を報告している。

と書かれている。

また、日本の代表的ジェンダーフリー論者で
東大教授の上野千鶴子氏は、
2002年に出版した『差異の政治学』で、
マネー理論をジェンダーフリーの論拠としている。

では、「マネー理論」とは如何なるものか?
J・マネーとはいかなる人物か?

ジョン・マネー。
1921年、ニュージーランド生まれ。
25歳で米国に渡り、心理学の博士号を取得。
ジョンズ・ホプキンス大学教授で
性科学の権威としてもてはやされた人物。

「ジェンダー・アイデンティティ」という言葉を
作り出したのも、このジョン・マネーで、
自らを「性の伝道師」と呼んだ。
彼がこのマネー理論を構築した。

「男か女か」という性意識は生得的なものではなく、
生育後の環境が性を決定するという理論。
男か女かという、
性のアイデンティティーが確立する2歳までであれば、
性を自由に変えることができると主張した。

彼はこの仮説を実証する必要があった。
2歳未満の幼児の性を転換させる。
男として生まれても、女として育てれば女に育つ。
逆もまたしかり。
この彼の異常な理論が一人の人間の運命を狂わせた。。

1966年4月27日。
カナダ生まれの一卵性双生児(男児)の一人が
包皮切除手術の失敗により、
男性器の大半が焼き焦がれて損傷した。

男児の名前はブルース。
執刀医のミスで男性器を失ってしまった。
ブルースを診察した医師は

 「おそらく青年期になっても
 正常な性生活を送ることができない。
 やがて本人は自分のことを不完全だと思うようになり、
 肉体的な欠陥を意識して、
 孤独のうちに生きていかねばならなくなるだろう」

と診断した。

悩んだ両親、父親のロンと母親のジャネットは
ジョンズ・ホプキンス大学病院を訪ね、
当時、性科学の権威として脚光を浴びていた、
ジョン・マネーに相談した。

マネーは己の理論を実証するチャンスが来たと確信した。
「男児を女の子として育てるように」両親を説得した。
マネーは「どう考えてもうまくいかないわけがない」と断言。
両親は悩んだ末にこの提案を受け入れた。

60年代当時、半陰陽の成人に対する、
性転換手術は盛んに行われていたが、
正常な男児を女児に性転換したという例はなかった。

1967年7月、男児は性転換手術を受けた。
去勢手術である。
ブルースはブレンダと名前を変えられ、
女の子として育てられた。
人形で遊ばせ、髪は巻き毛が耳の下まで伸びるに任せた。
さらに夫婦はマネーによる追跡検査のため、
年に一度、二人の子供、
「姉」のブレンダと弟のブライアンを連れて
彼の大学病院を訪問し続けた。

マネーは両親に念を押した。
「決して真実をブレンダにつげてはならない。
自分が女の子でなかったことを知るべきではない」と。

外形的にはブレンダは、栗色の巻き毛の
ほっそりとした茶色い目の可愛らしい少女であったが、
内面は全く違っていた。

ブレンダには最初から女らしいところは微塵もなかった。
ドレスを引き裂こうとし、父親の髭剃りに興味を持った。
去勢後もオシッコは立ってしていた。

弟のブライアンは言う。

 「ブレンダには全く女らしいところはなかった。
 女らしさのおの字もなかったよ。
 歩き方も男みたいだったし、座る時はいつも脚を広げてさ。
 話し方だって男みたいで、家を掃除したり、結婚したり、
 化粧をしたりすることなんてことには興味も示さなかった。」

 「俺達は二人とも、男友達と城をつくったり、
 雪合戦をしたり、軍隊ごっこをするのが大好きだった。」

ブレンダの祖母は、

 「私があの子の男の子ぽいふるまいに気づいたのは
 通りの向かいに住んでいる男の子と喧嘩した時だった。
 その男の子はブレンダを殴ろうとしたんだけど、
 ブレンダは迷わず殴り返したの」
 
ブレンダ自身、
自分は男なのか女なのかということに苦悩していた。
彼は後に、幼少期を振り返ってこんなふうに述べている。

 「俺はいつも自分が弟と同類だと思っていたんだ。
 俺たち二人は兄弟なんだって認識が強かった。
 それは自分がドレスを着ていようがいまいが
 関係のないことだったんだ。」

 「みんながみんな、俺に言うんだ。
 おまえは女の子だって。
 だけど俺は自分のことを女の子だと感じられなかった。
 とにかくしっくりこないんだよ。」

 「で、俺は思ったんだ。
 何かが間違ってるってね」


しかし、マネーは1972年、
その実験がうまくいっているかの如く、
論文「双子の症例」を発表した。

この症例が双子の兄弟の一人であることが大きかった。
つまりマネーは自分の実験に
生物学的に限りなく等しい一組の子供を得たことである。
二人の子供は、DNAに同じ遺伝子の青写真が刻まれ、
脳と神経系統は子宮の中で
同じホルモンの影響を受けて生まれた。
症例としては、これほど都合のいい素材はなかった。

この論文「双子の症例」とそれに基づくマネーの著作は、
「性別の自己認識は環境的要因によって決まる」
というマネー理論の実証事例として
医学界に大きな衝撃を与えた。
当時、急激に勢力を拡張しつつあった、
女性解放運動に影響を与え、
現代のフェミニズムの拠り所として広く引用された。

マネーは40年の研究生活において
最も輝かしい成功をおさめ、
1997年には「今世紀で最も偉大な性科学者の一人」
として賞賛された。

1973年のタイムズ誌は報じている。

  男性的および女性的行動における従来のパターンは
  変更可能であるという、
  女性解放運動者たちの主要な論点を
  強く支持するものである。


しかし、ブレンダの異様な行動は
母親からマネーに逐一報告されていた。
だが、マネーは「時間が経てば全て解決する」
などと言うばかりで、これらの事実を隠し続けた。

ブレンダは後に語った。

 彼らは言ったよ、
 女の子であることを恥じては駄目だって。

 マネーの同僚の女の人は言ったな。
 「あなたはただのお転婆なのよ」ってね。
 いや、それはちょっと違うんだよ。
 そうじゃないんだよって。
 
自分の性に関する混乱を訴えようとしても
マネーたちは真剣に耳を傾けなかった。

マネーは
ブレンダに女の子としての自己認識を植え付けようと
膣形成手術を要求し続け、
豊胸のため女性ホルモンを飲ませた。
また、ポルノを見せたり、
弟のブライアントと性行為の真似事までさせた。
この治療は双子の兄弟の心に深い傷を残した。

脳の構造的性差が
十分に解明されていなかった時代とはいえ、
生物学的性差を無視して
狂気の人体実験を行ったジョン・マネー。
狂信的な性解放論者だったマネーには
実は幼少期に深刻なトラウマがあった。

マネーは、幼い頃に亡くなった父親が
鳥を無慈悲に殺すのを見て
「野蛮な男らしさ」に対する嫌悪感を生涯抱き続けた。
8歳の時、父親の死以後、母親や未婚の叔母に囲まれ、
女性的な環境で育てられたマネーは、

 「私は自分が男であることに
 罪の意識をおぼえ、苦しんだ」

と述懐し、

 「家畜だけでなく、人間の男も誕生時に去勢されたら、
 世界は女性にとってより良い場所になるのではないか」

と記し、
自分の性に強い否定感情を抱いていたと思われる。

マネーは若い頃には「性革命の扇動家」として、
フリーセックス、サド・マゾヒズム、スカトロジー、
切断願望、自己絞殺、小児愛に関心を示し、
その種の著作もある人物であった。


ブレンダは長じるに従って
マネーから「膣形成手術」を受けるように迫られた。
狂気のマネーは、これを受けさせることによって
ブレンダの「女性化」は完璧なものになると思っていた。

だがブレンダは拒み続けた。
すでに自分の中に芽生えつつあった、
ある種の自覚が原因だった。

 「自分は女の子なんかではない。
 両親や先生がなんと言おうと、
 私は絶対に女の子なんかにはならない」

ブレンダは思春期には声変わりもし、体毛も生えた。
誰がどう見てもブレンダは男であった。
そして14歳の時にブレンダは両親から事の真相を告知され、
それを切っ掛けに男に戻ることを決断した。
1980年にはディヴィットと名前を改め、
男性としての人生を取り戻す。

ディヴィットはその後、男性器再形成手術を行い、
3人の連れ子を持つ女性と結婚生活を送っていたが、
2004年5月、38歳の若さで自殺した。

母親のジャネットは

 「ディヴィットに辛い思いをさせた。
 あの惨たらしい実験がなかったら、
 あの子はまだ生きていたでしょう」

と、自殺がマネーによる人体実験と
無関係でないと述べている。

デヴィットも生前、

 「もし、俺の過去を洗いざらい消し去ってくれる、
 催眠術師がどこかにいるのなら、
 俺は全てをなげうってでも、その人に会いに行くね」
 
 「あんな拷問はない。
 やつらが仕掛けてきた心理ゲームのおかげで、
 俺の頭んなかはめちゃくちゃになっちまったのさ」

と述べている。

このブレンダ=デヴィットの数奇な人生は
後にジャーナリスト、ジョン・コラピントによって
「As Nature Made Him(自然がつくったままの姿で)」
という一冊の本にまとめられた。
1997年、米国でベストセラーとなり、
本書の原作となったローリング・ストーン誌掲載の
著者によるコラムは、全米雑誌賞を受賞している。

日本では「ブレンダと呼ばれた少年」という邦題で
2000年に無名社から発行された。
売れ行きは好調であったが、
何故か翌年、絶版となってしまった。

狂った性理論を構築したジョン・マネーは、
その論文に疑問をもったハワイ大学医学校教授の
M・ダイアモンド博士に論争を挑まれ、
最終的にマネーのウソを突き止めたダイアモンド教授が勝利した。
マネーの数十年に渡る権威は、この時に失墜した。


私は、この「ブレンダと呼ばれた少年」を探し求めたが、
当然ながら普通の本屋では置いてなく、
古本屋を数軒回ってやっと探し当てた。
場末の狭い古本屋の片隅に
その本はひっそりと置かれていた。

一読後の衝撃は忘れがたい。
こういう事ってあり得るのか?
こういう事をやっていいのか?
やった人物の責任はどうなるんだ?

このマネー理論、
「男か女か」という性意識は生得的なものではなく、
生育後の環境が決定するという骨董無形な仮説は
一人の男性の人生を狂わせた。
そして彼の数奇な運命はマネー理論の欺瞞を証明した。

米国のフェミニスト達は
この理論をとうに見捨ててしまったが、
今もなお日本のジェンダーフリー論者は
この破綻したマネー理論を自らの思想の論拠としている。


さて、次回は
教育におけるジェンダーフリー思想の浸透を、
過剰な性教育に焦点をあてて書きます。
おそらく大半の日本人は
現在進行中の、この教育現場の惨状を知らないでしょう。



ブレンダと呼ばれた少年:
 ジョンズ・ホプキンス病院で何が起きたのか
 ジョン コラピント (著)


新・国民の油断
 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす
 西尾 幹二 (著), 八木 秀次 (著)



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by misaki80sw | 2005-03-17 00:47 | 反ジェンフリ・反フェミニズム

前回の「保守の油断:前編」で
ジェンダーフリーの思想が国家中枢に入り込み、
それが法制化されていく過程を書きました。

また、それが現代左翼の常套手段であり、
「体制内に入り込み、体制を洗脳し、
社会や国家全体に対し、上から号令をかける」
これが彼らの手法であることも書きました。

上流を乗っ取れば、下流も掌握できる。
川上が汚染されれば、川下も汚されてしまう。
今、進行しつつある事態はこれです。

さて、今回の「ジェンダーフリー考」は
この上流の汚染が川下に広がっていく過程を描きます。


平成11年、男女共同参画基本法可決。
翌12年、基本法に基づく
「男女共同参画基本計画」が閣議決定された。

内容はこちら↓

内閣府:男女共同参画基本計画

まあ、額面はきれい事を書いてますが
単純に言ってしまえば、

 ジェンダーフリーを推進し、
 これに反する社会制度と社会慣行を変えますよ。
 そういう啓蒙運動を国費で行っていきますよ。
 これに反するメディアは規制しますよ。
 もちろん、教育の中にも織り込みますよ。
 
こういうこと。

さらに平成13年、省庁再編に伴い、
内閣府内に「男女共同参画会議」が設置された。
その事務方として「男女共同参画局」も設置された。

省庁再編によって
かつての総理府は内閣府に格上げされた。
総理府は他の諸官庁と横並びの立場でしかなかったが、
内閣府は他の官庁に対して
省庁間の調整と監督の役割を果たすため、
他の省庁に対して上位の位置づけ。

この男女共同参画会議は各省庁に対して横断的な、
男女共同参画を促す調整権限と役割が与えられた。
また、必要がある時は、
首相及び各大臣に意見することも出来る。

まあ、小難しく書きましたけど
要するに「男女共同参画基本法」の理念を背景にして
政府の施策や立法過程に介入することが
可能になったというわけ。

官僚用語で「調整権限を持つ」とは
他のやってることに口出しし、
介入してもいいよってこと。
こういう権限を持ってしまったのは大きい。

平成13年五月には、
一府十二省すべての中央省庁に
男女共同参画推進会議が設置され、
これを統括する内閣府男女共同参画会議が
各省庁に強力な権限を行使する体制が整った。
言わば、ジェンダーフリー推進の司令塔の誕生である。

この司令塔の中に、「有識者」という名の
ジェンダーフリー論者、フェミニスト、
左翼系知識人などが委員として続々参集した。

ちなみに、前回も触れたが
男女共同参画基本法の法案作りを行った大沢真理氏も
当然の如く委員の一人として加わった。

この男女共同参画会議には
幾つかの専門調査会が置かれている。

男女共同参画会議の全体構成

この中でも大きな権限を有するのは
「監視・影響問題専門調査会」である。

もともと専門調査会は
男女共同参画会議発足当時は2つに分かれていた。

◇影響問題調査会(会長:大沢真理)

◇苦情処理・監視専門調査会(会長:古橋源六郎)

これが平成16年に統合され、
「監視・影響問題専門調査会」となった。

この専門調査会の役割は
男女共同参画基本計画に則り、
男女共同参画が着実に実施されているかの
調査と監視を行う。
また、政府の施策に対する提言・意見など。

一例をあげると、この調査会は
政府の税制・年金改正の方向付けに大きな影響を与えた。
平成16年の配偶者特別控除の一部廃止など、
配偶者控除の縮小・廃止へと
政府の政策はシフトしているが、
これはこの調査会の報告書が大きく影響している。

専門調査会は
平成13年5月から翌年3月までに
検討会をを十回に渡ってひらき、
四月に「『ライフスタイルの選択と税制・社会保障制度・
雇用システム』に関する中間報告」をまとめている。
この内容がそっくりそのまま政府の「基本方針」となった。

この配偶者控除削減における参画会議側の意図は何か?
それはジェンダーフリー思想を見ていれば分かる。
夫は外で働き、妻は家事をするという
男女の分業体制に対する憎悪。
彼女らは控除を削減することで
専業主婦の減少を目的としている。

政府側は、財政再建のために
この「男女共同参画」を大義名分として掲げ、
大幅な扶養者控除の減額を実施したい。
この両者の意思が合致して
配偶者控除は縮小・廃止の方向へと進んでいる。

さらに、恐ろしいのが
この専門調査会の持つ監視機能。

法は法として存在するだけでは意味がない。
法が有効に機能するには、
法がきっちりと執行されてるかどうか、
監視する機能が必要である。
それがこの調査会。

監視・影響問題専門調査会は
男女共同参画基本法に則って、
これが着実に実行されているか、反する行いはないか、
などの監視活動を行なうことになっている。

この専門調査会は平成13年に
関係省庁、地方公共団体等から
関連制度や取り組みに関するヒアリングと、
地方公共団体等において相談業務に携わっている者や
有識者からのヒアリングを実施した。

ここで、彼らの権限と影響力を知る意味で
農林水産省とのヒアリングの議事録を引用する。

 古橋会長:
  「家族経営協定というものの数値目標を各県ごとに
  つくらせるということが必要なんじゃないか。
  家族経営協定をどうやって
  具体的にしていくかという方策として、
  今は農業者年金受給できる、
  家族経営協定を結べば利益があるよ、
  あるいは利益を受けるべき補助金が
  受けられないというようなシステムを
  つくっていくということが
  私は必要なんじゃないかと思うんです」

 農林水産省:
  「補助事業の採択をするときに、市町村とか農協とかが、
  この事業が必要というふうに国に要望してきますね。
  それで、どこの地域の、
  例えば集出荷施設を採択するかというときに、
  女性の参画促進に非常に熱心な市町村とか
  農協から要望のあった施設は、
  ほかの条件、例えば必要性が全くイコールであれば、
  女性の参画に熱心なところからの要望には配慮しましょうと、
  できるだけ優先しましょうというようなものを盛り込んだ、
  共同参画を進めるための、ポジティブアクションみたいな、
  そういった仕組みを取り入れた推進指針を、
  農水省の全部の局長の連名通知で
  知事あてに出しております」

家族経営協定とは、農家などにおいて
家族がお互いに給与や就業時間の協定を交わし、
役割分担や仕事の範囲を明確にするという契約。
家族の中に契約条項を持ち込むという、
ジェンダーフリーの常套手段の一つ。
農家の家族関係をバラバラにし、
解体してしまおうという発想。
農林水産省などが率先して行っている。

上記のヒヤリングにおいて
調査会の古橋氏は農林水産省に対し
家庭経営協定を結んだ農家を農業者年金基金などで優遇し、
結ばない農家を冷遇せよと言っている。
ほとんどヒヤリングというより指示に近いね。

男女参画の趣旨に適合するものは優遇し、
反する者は制度を駆使して従う方向に追い込んでいく。
彼らは何様のつもりなんだろうか?

彼らの議事録はこの種の強圧的な発言に満ちている。
男女共同参画に協力しようとしない自治体に対し
「民度が低い」と言い、
自治体首長に対して
「洗脳をやらないとだめだと思いますね」
などの発言も飛び出す。

議事録の中では、
「ジェンダー」「フェミニズム」等の言葉が飛び交う。
これが政府内の組織なんだから泣けてくる。

さて、新設された男女共同参画会議は
次々に施策を打ち出したが、
その中でも大きなものが
国の男女共同参画基本法に即して、
各自治体にそのミニ版の「男女共同参画条例」を
制定させるように仕向けたこと。

法的に、自治体にとって条例策定は義務ではないが
内閣府からの「指導」とあっては応じぬわけにはいかない。
今では、都道府県は千葉県を除き、全県が条例を策定。
多くの市町村もこれに続いている。

千葉県は「堂本県政の狂思想」でも書きましたが、

ジェンダーフリー考 その1・・堂本県政の狂思想

そのあまりの過激な内容に
県議会の猛反発にあって廃案となり、
以後、この件に関する議員らの意識が強まったことと、
堂本知事もこれに懲りて
再度の条例案提出を手控えてるために
日本で唯一、男女共同参画条例の無い県となっている。
まさに雨降って地固まるだね。


さて、ここで地方での条例制定に関して
いくつか例を上げておきます。
最初は福岡市の例です。

福岡市の男女共同参画条例は
平成16年3月に可決された。

まず、平成15年1月、
市は男女共同参画推進懇話会を設置し、
市長が条例案の検討を依頼した。
懇話会は、条例検討部会を設けて1年間の協議を経て、
平成16年1月に提言書をまとめて市長に提出。
これを参考に市が条例案をまとめた。

そもそも、この懇話会ってやつがくせ者で、
委員の人選が偏っていた。
条例検討委員10人(男3人・女7人)のうち、
市民代表として入っている3人の女性は、
いずれも「福岡市に男女共同参画推進条例を作る会」の
バリバリのフェミニスト3人。
福岡市議会でも保守系の議員などからは
「条例検討委員の人たちが偏っている」
との非難の声があがった。

3月19日の第2回条例検討部会では、
市民の意見発表者会を行った。
しかし、発表者の人選も不透明そのもの。
市のホームページ等で意見募集をして、
応募のあった30人から選んだものだが、
発表者の6人中4人までが、
条例検討委員の関係者で占められていた。
フェミ団体「北京JACふくおか」「福岡市女性翼の会」
「福岡市七区女性協議会」の各団体メンバーと、
委員である大学教授のゼミの学生という顔ぶれ。

そして平成15年8月、懇話会は中間案を発表した。
誰もがぶっ飛んだ過激な内容だった。
それもそのはず、委員達は
「廃案となった千葉の条例案以上のものを」と
意気込んでつくった。

内容は以下。

◇教育における男女共同参画の推進

 市が学校教育など全教育において
 男女共同参画を推進するための教育を
 充実するよう必要な措置を講じる。

◇性の自己決定権

 妊娠・出産その他の健康について
 自らの意思が尊重されるよう、
 性に関する教育・相談その他の必要な措置又は
 支援を行うよう努める。

◇農林水産業での
 収益分配などを規定する家族経営協定

 これは前述しました。
 別名「家族崩壊促進協定」

◇県が主催する入札での優遇

 事業者の男女共同参画推進状況の
 報告義務付けを規定した上で、
 公契約を請け負う事業者で
 男女参画を推進している事業者には
 公契約とからめて優遇措置をする。

 思想による企業統制。
 千葉と全く同じ。

◇厳格な苦情処理機関の設置

 要するに「監視機関」。
 男女共同参画に反する企業や人物などに対して
 調査・勧告を行う。


この中間案に福岡市民は驚愕した。
9月、市は条例案について
市民の意見を1ヶ月にわたって募集し、
11月5日、福岡市役所の第五特別会議室で
中間案に対する市民からの意見を公表した。
多数の市民がこれを傍聴し、席は満席となっていた。

公表された市民の意見は2000通を超えた。
その大半が中間案に反対であった。
傍聴の市民たちは意見の集計結果に則して、
委員がどのようなやりとりを行うのか見守っていると、
出席していた四人の女性委員たちから
耳を疑うような発言が飛び出した。
 
 「懇話会としては、
 これまでの案を大勢として進めていく方向だから、
 こういう反対意見があっても取り上げない」

 「大多数の意見は組織的に行われた疑いがあるので、
 これを調べてみなければいけない」

 「少数意見でも、この条例案を
 進めていこうという意見は正しい意見だから、
 これは取り上げるべきだ」

中間案見直しを求めた委員はわずかに一人だけ。
傍聴席の市民達は落胆した。

だが、さすがに2000通を超える反対意見。
これに市議会の議員達が触発され、
市と数度の折衝を行い、過激な箇所の訂正に乗り出す。

一番の論点になったのは、
条例前文の「性別にかかわりなく」の文言の解釈だった。
自民党市議らから、
男女の区別を否定するジェンダーフリーの思想を排除し、
誤解を招かないためにも
「男らしさ、女らしさ」や「男女の特性」という言葉を
条文に盛り込むべきとの意向が伝えられたが、
市はフェミニストや懇話会委員の顔色をうかがってか
「条例にはそぐわない」などといった禅問答を続け、
平行線のままだった。

しかし、全体を見れば、
市が平成16年3月に議会に提出した条例案は、
懇話会提言書の問題点の多くを修正している。

とくに「家族の重要性」を文面に入れ、
ジェンダーフリー色を薄めた。
また、苦情処理機関に関しては
市の施策に関するものに限定するとともに、
苦情処理だけのための付属機関は設けない、
といった具合で、過激のトーンは落ちている。

福岡市男女共同参画を推進する条例

長々と福岡市の条例を巡る攻防を書きましたが、
これはどちらかといえば
少しは良い方向に改善された例だね。

もちろん、そうじゃないパターンもある。
2つ例をあげましょう。

まず、埼玉県。

埼玉県は全国に先駆けて
男女共同参画条例を制定した。
ここの条例の特徴は
「苦情処理委員会」の権限が絶大なこと。

平成14年、
埼玉県男女共同参画苦情処理委員会に対し、
「男女別学の学校は男女共同参画の精神に反している」
との苦情申し立てが行われた。

苦情処理委員会はこの申し立てを検討し、
県教育委員会に対して
公立高校の男女共学化を早期に実現するよう勧告を行った。

これに反発した学校OB・OG・保護者らは
わずか3カ月で27万人の共学化反対の署名を集め、
生徒代表らも反対決議文を知事に提出して、
これに押された県教育委員会が
「別学維持」を決めて勧告を退けた。

この時の署名運動がいくつかネット上に残っている。

男女共学と別学高校の共存を願って

埼玉県立浦和第一女子高等学校PTA:公開質問状

この共学化勧告などは思想統制そのものだが、
「苦情処理委員会」の
権限の大きさを物語るエピソードである。

実はこの委員会、わずか3名の委員で構成されている。
いずれもジェンダーフリー論者だが、
たった3名の意見によって公立校の共学化を勧告した。
恐るべし、苦情処理委員会。


次ぎに、宮崎県都城市。
おそらく日本最強の過激条例。

都城市男女共同参画社会づくり条例

この九州の田園都市の男女参画条例は
「性的少数者の保護」を市民や事業者の責務とした。

性的少数者?
具体的に条文を見てみよう。

 第2条の(1)男女共同参画社会

 性別又は性的指向(以下「性別等」という。)にかかわらず
 すべての人(以下「すべての人」という。)の人権が尊重され、
 社会の対等な構成員として、自らの意思によって
 社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、
 もって均等に政治的、経済的、社会的及び
 文化的利益を享受することができ、
 かつ、共に責任を担うべき社会をいう。

そして「性的指向」の定義。

 第2条の(6)性的指向

 性的意識の対象が異性、同性又は
 両性のいずれに向かうのかを示す概念をいう。

つまり、ホモ・レズ・バイセクシャルも有りということ。

これに関する市の男女共同参画担当者の発言。

  「これを守らなければ
  法的に訴えられる根拠となる」。

当時の産経新聞から。

  条例案に反対した内村仁子市議は
  「将来に禍根を残す条例が成立してしまった」
  と涙ながらに語った。

  「健全な男女共同参画条例をつくる都城市民の会」
  の岩元順一代表も、
  「この条例がもとで、静かな都城に同性愛者が押しかけ、
  同性愛天国になったらどうするのか」と懸念する。

こういうことを条例で
うたわなければならない根拠は何か?
人権を守るのなら既存の法で十分ではないか?
何故、ことさら性的少数者の保護を条例に記載し、
それを「市民の義務」と規定する必要があるのか?
何かが歪んでるとしか思えない。


各地の男女共同参画条例制定の
実例をあげてきました。

地方では、この条例に基づき、
自治体内に男女共同参画推進組織が設置され、
予算が計上され、地方レベルでの
ジェンダーフリーの浸透が始まる。

まさに上流が汚れ、下流も汚染され、
それが各支流へと広まっていく様子が分かると思う。

各地方で「女性センター」や
「共同参画センター」という名の
ジェンダーフリーの拠点が建てられた。

女性センター:リンク集

ここでは著名なジェンダーフリー論者を呼び、
講演会を行い、地域住民の「啓蒙」にあたる。
もちろん、経費は自治体の予算から出され、
元を辿れば地域住民の税金である。

そして教育への浸透。
各公立学校でジェンダーフリーお得意の
「男らしさ・女らしさの撲滅」
「性教育」「性的自己決定権」が行われていく。
また、教科書はジェンダーフリーの色彩が濃いものが
優先的に採用されていく。
*この教育分野の実状は後日詳しく掲載します。

しかし、作用があれば反作用がある。
あまりのジェンダーフリーの急進ぶりに
国民から疑問と抗議の声が上がった。

普通の家庭の主婦が、小中学生の父親が、
文部科学省のパンフレットの中で
こいのぼりやひな祭りが否定されたことに驚き、
学校での生々しい性教育に仰天し、
家庭科の教科書に
「カタツムリのような雌雄同体が人間の理想」
と書いてあることに怒りの声をあげた。

政治家の中では、山谷えり子議員や、
今は落選してしまったが高市早苗元議員などが
国会でこの問題を活発に追及した。

ちなみに上野千鶴子氏は
この両名を仇扱いし、著書の中でこう書いている。

  パッシングの急先鋒に女の議員が立っている。
  高市早苗と山谷えり子だ。
  そんなに男に頭を撫でてもらいたいのか。

国会での追求と国民の抗議の声。
慌てた政府は平成14年11月の参院内閣委員会で、
ジェンダーフリーを否定した。
男女共同参画担当相の福田康夫官房長官らは
「性差を否定するものではない」と答弁し、
男女共同参画行政から
一部の学者や運動家の見解を排除した。

以下、当時の産経新聞から引用。

 男女共同参画行政が
 男らしさ・女らしさの否定ではないかと
 批判されている問題で、内閣府は14日、
 「性差否定ではない」との趣旨を徹底する文書を
 都道府県に送ることを決めた。

 内閣府は「従来の姿勢を確認するだけ」としているが、
 共同参画の意味づけで混乱する自治体の行政が
 かなり是正されそうだ。

 この問題をめぐっては、男女共同参画審議会の
 男女共同参画会議・影響調査会会長の大沢真理東大教授が
 「政府はジェンダー(社会的・文化的な性差)
 そのものの解消を志向している」と主張。
 地方自治体の行政や教育現場にも影響を与えてきた。

 このため、「日本の男女共同参画行政は、
 男女の特性を認める『男女平等』や『男女同権』ではなく、
 男女の区別そのものを否定する、
 過激なフェミニズムに基づいている」と
 反発の声が上がっていた。

 しかし、今月12日の参院内閣委員会で
 福田康夫官房長官と米田建三・内閣府副大臣、
 板東真理子・内閣府男女共同参画局長が

 (1)政府が目指す男女共同参画社会は
   男らしさ・女らしさの否定ではない

 (2)「ジェンダーフリー」という言葉は公的用語ではなく、
   男女の区別をなくすという意味ではない

 (3)教育現場などで誤解を生まないようにしたい

 との立場を明らかにした。

 内閣府男女共同参画局は
 「委員会でのやりとりを都道府県に送り、
 趣旨を徹底したい」としている。


この政府のジェンダーフリー否定宣言に、
論者達は反発した。

以下は、上野千鶴子氏の講演録から。

  ジェンダーフリーという言葉は使わなくても
  痛くもかゆくもない。
  使うなと言われたら、
  「男女平等」という言葉を使って
  置き換えればいいのです。
  そんなに大騒ぎすることではない。

  ジェンダーフリー・パッシングをする人には
  「それならあなた、男女平等に反対ですか?
  男尊女卑は好きですか?」と畳みかければ
  言葉がつまります。

  だいたい、男女共同参画基本法を通したのは
  不勉強なおじさんたちです。
  不勉強だったんですよ。無知。
  それで通ってから、変革の嫌いなおじさんたちは
  気が付きました。
  それで今さら攻撃しています。
  ざまあみろ。あははは。

これは平塚市主催の講演会。
公費で行う講演会で言いたい放題。
こういうことって許されていいわけ?

政府のジェンダーフリー否定宣言後も
各地の自治体や公的機関は
平気で「ジェンダーフリー」の言葉を使い続けている。
また、その思想を継承している。
政府がいくら用語上で否定しようとも、
あの男女共同参画基本法の作成者(大沢真理氏)が
名うてのジェンダーフリー論者であり、
その理念が法に混入してるのは疑いようがない。
またその人物が今も内閣府の
男女共同参画会議の委員をやってるわけで
その根本の部分からこの思想を排除しなければ、
抜本的な解決にはならないでしょう。

政府のジェンダーフリー否定宣言は
一定の効果はあったかもしれないが、
「法律」+「組織」+「予算」の3点セットで
国家の施策として動き出したこの流れは止めようがなく、
特に教育という土壌に根をおろした狂気の思想は
確実に日本を蝕みつつある。


さて、次回は
ジェンダーフリーの理論に基づいた、
狂気と悲劇の「実験」の話しを書きます。



内閣府男女共同参画会議の恐るべき戦略

ジェンダーフリー条例 施行2年で消滅

フェミニズム条例を一掃しよう!

新・国民の油断
 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす
 西尾 幹二 (著), 八木 秀次 (著)


男女共同参画社会基本法

内閣府男女共同参画局


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by misaki80sw | 2005-03-15 02:23 | 反ジェンフリ・反フェミニズム
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平成11年6月、
男女共同参画基本法が国会にて満場一致で可決された。

当時は「政治改革」の嵐が吹き荒れ、
自民党の一党支配は崩れ、
細川連立政権から村山内閣、
そして橋本、小渕内閣を経て、
左傾化された法案が次々と提出された。

外国人参政権法案、人権擁護法案、
そして、この男女共同参画基本法案。
外国人参政権法案は
喧喧諤諤の議論の上、継続審議となり、
人権擁護法案は一旦は廃案になったものの
また復活し、今は大激論の真っ最中。
しかし、男女共同参画基本法案はすんなりと可決された。
ここが全ての始まりだった。

この流れの元となったのは
国連の「女子差別撤廃条約」。
第34回国連総会において採択され、1981年に発効。
日本は、1985年に批准した。

これの第一条。

 「女子に対する差別」とは、
 性に基づく区別、排除又は制限であつて、
 
そして第二条。

 「締約国は、女子に対するあらゆる形態の差別を非難し、
 女子に対する差別を撤廃する政策を
 すべての適当な手段により、
 かつ、遅滞なく追求することに合意し,、
 及びこのため次のことを約束する」

 「男女の平等の原則が自国の憲法その他の
 適当な法令に組み入れられていない場合にはこれを定め、
 かつ、男女の平等の原則の実際的な実現を
 法律その他の適当な手段により確保すること」

 「女子に対するすべての差別を禁止する、
 適当な立法その他の措置(適当な場合には制裁を含む)
 をとること」

 「女子に対する差別となる既存の法律、
 規則、慣習及び慣行を修正し
 又は廃止するための
 すべての適当な措置(立法を含む)をとること」


女子に対する差別とは、
「性に基づく区別」と明確に書いてある。
要するにジェンダーフリーの発想そのもの。

この「差別」を撤廃させ、
男女の平等を推進する法律を制定せよとのこと。
この条約を批准する際に
「日本の国情にそぐわない」との意見もあったが、
賛成派は「他の先進国が批准してるから」
との理由で押し切ってしまった。

実際には、米国などは
この条約のジェンダーフリーに対する入れ込みを警戒して
いまだ批准していない。
米国の場合、60~70年代の
フェミニズムの全盛と性の放縦に対する反省から、
ここ十年ほどは「家庭の健全化」「道徳教育」が
大きな流れとなっているからね。

そして平成7年、
北京で「第四回世界女性会議」が開かれ、
日本も代表団を派遣したが、
その「お土産」として、
総理府の中に「男女共同参画室」が作られ、
その本部を各省次官級から閣僚級に格上げした。

この総理府内に設置された「参画室」は、
その後の体制内へのジェンダーフリー思想の浸透の
拠点となっていく。

平成8年6月、羽田政権の末期。
首相の諮問機関である男女共同参画審議会が設立された。
後に、この審議会によって
男女共同参画基本法の原案が作成された。

前回の「尻尾のない狐」でも書いたように
男女共同参画基本法の作成を実質的にリードしたのが
ジェンダーフリー論者の東大教授、大沢真理氏。
彼女は、この審議会に途中から参加し、
並み居る官僚どもの鼻面を引き回し、
己の思想を、この法案へと結実させてしまった。

翌7月、同審議会は
「男女共同参画ビジョン」を提出。
これは今後の男女共同参画社会への
道筋・グランドデザインを描いた答申。

この中に、

  この答申は女性と男性が
  社会的・文化的に形成された、
  性別(ジェンダー)に縛られず、
  各人の個性に基づいて共同参画する社会の
  実現を目指すものである」

と書かれてある。

これは政府文書の中に
「ジェンダー」という言葉が記載された最初の例。

ここらへんの男女共同参画法制定に至る過程は、
ジェンダーフリーの論客、上野千鶴子氏の対談集、
「ラディカルに語れば」に詳しく書いてある。

この中で大沢真理氏は上野氏を相手に
法案成立に至る舞台裏を得々と語っている。

以下、引用する。


 大沢 私も絶えず戦略的に行動していますから、
    ジェンダーについて説明し、
    議論する時には二段階に分けて、
    最初の一段階のところで理解してもらえば、
    まあそれで良しとしました。
    そこは使い分けをしています。

    生物学的な性差は、セックスだけど、
    それとは一応区別される、
    ありとあらゆる文化や社会が作りだした、
    男らしさや女らしさの通念、
    つまり男女を区分している線。
    これは人工的に作りだされたものだから、
    人の意識的な営みによって崩していくことができる。
    これが第一段階ですよね。 
 
    ここまでは、かなりの人が、
    そうだねと言うわけですけれど、
    二段階目というのは、セックスが基礎で
    その上にジェンダーがあるのではなくて、
    ジェンダーがまずあって、
    それがあいまいなセックスにまで
    二分法で規定的な力を与えているけれど
    本当はあなたのセックスはわかりません、
    ということです。
    
    女で妊娠したことのある人だったら
    メスだといえるかもしれないけれども、
    私などは妊娠したことがないから、
    自分がメスだと言い切る自信はないし、
    男にとっては、
    あなたの子供を生んだことになっている女の人しか、
    あなたのセックスについて断言できません、
    こう言ったら、もう男は立つ瀬がないというか。

 上野 そういう戦略をとったのは賢いやりかたですね。
    「(男女共同参画)ビジョン」には
    男女の特性にしたがった対等な取り扱いではなくて、
    最終的には
    ジェンダーの解消をめざすと書かれています。
    これは画期的なことだと思いますが、
    これについて合意が形成されたとは、
    これもにわかには信じがたい。
    おいおい、本気かよ?という感じです(笑)


大沢真理氏が
戦略的に言葉を使い分けているのがよく分かる。
ちょっと悔しい内容だね。


 上野 (審議会での)合意形成はすんなりいきました?

 大沢 反論らしきものはほとんど出なくて
     反論するにはやはりそれなりの論理を
     準備しなければならない。
     それだけの論理のある人は、
     そう言っちゃあなんですが
     いなかったということですね(笑)。

 上野 審議会って、そんなに簡単に論理が勝つの?
     ホントかなあ。

 大沢 ここは特殊な審議会なんです。
     事務局が引き回したくても、
     その素養がないんです。
     大学で女性学を学んでませんし。
     ジェンダーという発想はまったくないわけで
     結局、委員(大沢氏)が発言し、
     自分の発言したことを起草して、
     文章を作っていくという、
     稀に見る審議会だったわけです。

 上野 たまたま論理不在のところに
     強力な論理が登場したことによって、
     それが席巻してしまったと。
     その際に、大沢真理という専門家が
     画期的な役割を果たしたということですね。
    

大沢氏が官僚達を論破し、
終始、議論をリードした様子が想像できる。

「人間とは何か?」「男女とは何か?」
この種の哲学的命題とは無縁の試験秀才の役人たちは、
大沢真理の論理体系に苦も無く打ち砕かれてしまった。

さらに彼女は得々と語る。


 大沢 「ビジョン」の特徴と意義を解説した私の論文を
     参画室の事務局で、
     「ビジョン」起草に関わった男性のお役人が
     立ったまま読み始めて
     そのままとうとう終わりまで読んでしまった。
     そして最後に「こういうことだったのか」って
     言ったそうです(笑)。

 上野 今のエピソードは実に典型的ですね。
     つまり、納得しながら進めたんじゃなくて
     あれよあれよという間に大沢委員に寄り切られて、
     ふりかえったら、
     「そんなことやってしまったボクちゃん」(笑)と
     いうことなんでしょうか。


1996年10月、第二次橋本内閣成立。
与党自民党に対して
新党さきがけと社民党が閣外協力した。

この時の三党合意事項に基づいて
平成11年6月、審議会作成の原案をもとに
「男女共同参画基本法」は策定された。

全てはもう遅かった。
法案は国会に回され、
これまた無自覚な自民党議員たちは
大した議論もせぬまま、これに賛成してしまった。

同時期の村山内閣の「戦後50年の国会謝罪決議」。
前大戦を反省し、アジア諸国に対し、
謝罪をするという国会決議だったが、
この時、自民党議員70名と新進党議員全てが
欠席する中で採択されるという異例の事態となった。
この警戒感と緊張感に比べ、
男女共同参画法はあまりにも無警戒で通してしまった。

彼らには、この法案の秘められた言葉の意味など
まるで理解できなかったんだろうね。

その第二条、「男女共同参画社会の形成」。

 社会の対等の構成員として
 自らの意志によって社会のあらゆる分野における活動に
 参画する機会が確保され、
 もって男女が均等に政治的・経済的・社会的及び
 文化的に利益を享受することができ、
 かつ共に責任を担うべき社会を形成してることを言う

まあ、悪い法律の典型で
何が言いたいのかハッキリしないし、
言葉の定義が明確でない。

問題なのは「利益を享受することができ」の文言。
男女が均等に政治的等々の利益を享受する社会?
これは結果平等の発想でしょう。
自由主義社会のエッセンス「機会の平等」に反する内容。
発想が統制主義だね。

さらに第四条、
「社会における制度又は慣行についての配慮」。

 男女共同参画社会の形成に当たっては、
 社会における制度又は慣行が、
 性別による固定的な役割分担等を反映して、
 男女の社会における活動の選択に対して
 中立でない影響を及ぼすことにより、
 男女共同参画社会の形成を
 阻害する要因となるおそれがあることにかんがみ、
 社会における制度又は慣行が
 男女の社会における活動の選択に対して及ぼす影響を
 できる限り中立なものとするように
 配慮されなければならない。

何が言いたい?
法律って小難しいものだけど、
この悪文は度を超している。
まとめた役人自身が
法の趣旨をよく分かってないんでしょう。

 「社会における制度又は慣行が、
 性別による固定的な役割分担等を反映して」

 「中立でない影響を及ぼすことにより」

つまり、制度や慣行が
男女の固定的な役割分担を守ってしまっているから
それに従うのは良くないという意味。
これぞジェンダーフリーのエッセンス。
大沢真理の信奉するデルフィの論理そのもの。
自民党議員には、こういう思想が存在すること自体が
想像すらできなかっただろうね。

 「できる限り中立なものとするように
 配慮されなければならない。」

配慮?
政府も自治体も「配慮」しろということだが、
じゃあ、どう配慮するのか?
何も具体的に書かれてない。
現在、大議論が起きている「人権擁護法」と同じで、
拡大解釈はいくらでも可能。
解釈するのは、この法の現在の元締めである、
「男女共同参画会議」なんでしょうね。


かくて法律は制定された。
全国のジェンダーフリー論者は喝采をあげ、
彼女らの時代の到来を喜んだ。
性差の無い究極の平等社会の実現。
彼女らのもくろみの第一歩は達成された。

法案成立後の平成12年2月。
上野千鶴子氏は松山市男女共同参画推進センターの
開館記念講演で発言した

  「男女共同参画基本法が可決された。
  しかも全会一致で。
  私はこのように思った。
  この男女共同参画基本法が
  どのようなものか知ってて通したのかよー、と」

  「これにより後で保守系オヤジどもを
  地団駄踏んで悔しがらせてやる」

  「信念をもったオヤジは死んでもらうだけ」

彼女の「ざまあみやがれ」という気持ちと
保守層に対する憎しみがハッキリと出ている。

また、代表的なジェンダーフリー論者の一人、
船橋邦子氏は雑誌の中で

  「男女共同参画基本法案は
  行政主導で制度化されてチャンスを得た。
  自治体職員や政治家はこれを非政治的なものだと
  思っていたのが幸運だった。
  市民は『お上』である役所が関与することには
  逆らわない役所至上主義がある。
  みんな彼らがぼんやりしてるときに、
  その隙をついた。」

と書いている。
とても正直な文章です。
これが彼女らの本音。


さて、この経緯を後から検証する我らは
溜息をつかざるをえない。
何故、こういう法律を通したのか?

まさに保守の油断だね。
1989年にベルリンの壁が崩壊し、
1991年にはソビエト連邦が地上から消え去った。
マルクス主義は息絶え、自由主義は勝利した。
しかし、マルクス主義のエッセンスは
「人権」と「平等」の理念のもと、
他の思想に姿を偽装し、静かに浸透の機会を窺っていた。

ここでヘルベルト・マルクーゼの言葉を紹介しよう。
彼はフランクフルト学派のマルクス主義者。

マルクーゼ

60年代の世界的な学生運動に多大な影響を与えた人物。
「共産革命のための武器はセックスだ。
それで社会の倫理を突き崩せ」と言い、
ジェンダーフリーにも影響を与えた。

彼は言う。

  「すでに確立された制度内に
  身を置いて働きかけよ」

  「対決というよりも
  むしろ徐々に侵入、潜入せよ」

これぞ現代左翼の常套手段。

暴力と血による下からの革命は挫折した。
自由主義国家における革命は
体制内に入り込み、体制そのものを洗脳することで
上からの「白色革命」を行う。
ジェンダーフリー論者は
明確にそれを意図し、実行に移した。

この法律のエッセンスと成立の経緯は
現在、大激論中の「人権擁護法案」を想起させる。
その内容の重大さに比べ、
ろくに国民的議論も経ぬまま、
突如、浮上してきた経緯。
そして、「人権」と「平等」の名のもと、
国民に思想統制を強いるやり口。
さらに法案を推進する人物が共通していること。
「男女共同参画法」と「人権擁護法」。
どちらも野中広務氏が背後にいる。

野中広務 素顔と軌跡:男女共同参画

氏は「男女共同参画法」成立時の官房長官であり、
この法案を強く押していた。
各方面に根回しし、圧力をかけ、
法案設立に尽力したことが知られている。


法が通れば、
その法の理念を地上に具現化すべく、
官僚組織が増設され、予算がつく。
組織と予算が確立されれば
官僚は組織目的達成のために動き始める

内閣府の中に男女共同参画局が設置され、
官僚とジェンダーフリーの論客が集められた。
大沢真理氏は男女共同参画会議・影響調査会の会長となった。
予算は、歴代内閣の目玉政策ということで
大盤振る舞いが行われ、
平成16年度には関連予算は9兆9千億円に達した。

国家財政が破綻しつつある中で、
この予算だけは特別扱いだった。
あれほど削る削らないでもめた防衛費は
半分の4兆8千億円に過ぎない。
日本の防衛費は大半が人件費が占めるため、
正面装備の額はわずかに約8100億円。

国防の要の戦闘機や護衛艦は削減され、
国民を毒する思想の流布に9兆円超が投じられる。
あまりの馬鹿馬鹿しさに言葉を失ってしまう。


さてさて、今回は長くなってしまったので
これを前編として、次回を後編とします。

次回は「男女共同参画基本法」制定後、
内閣府の中で男女共同参画会議が設置され、
ジェンダーフリー論者が委員として選ばれ、
他の中央官庁の施策に統制を強めていく様子と、
自治体に続々と「男女共同参画条例」が出来て、
地方でジェンダーーフリーが浸透していく過程を書きます。



ポスト・マルクスの群像

ジェンダーフリー初級編


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by misaki80sw | 2005-03-12 12:32 | 反ジェンフリ・反フェミニズム

さて、「ジェンダーフリー考」の第二弾です。
このシリーズはあまり間隔を開けずに
ダダダっと連打していきます。

前回の「堂本県政の狂思想」で
現在、千葉県で進行中の狂った思想統制を通して
ジェンダーフリーというものの異質さ、
常識から外れた狂気を書きました。

ジェンダーフリー考 その1・・堂本県政の狂思想

今日は、この思想の淵源となっている、
数人の思想家を俎上に上げてみたいと思います。


日本のジェンダーフリーの論客で
今は故人となった山本直秀という人がいる。
あの宮台真司氏などと複数の共著がある。

この人物、性教育にえらく熱心で
教育研究協議会(略称・性教協)という教育団体を創設し、
ジェンダーフリー譲りの性教育と性的自己決定権を
年端もゆかぬ小中学生に鼓吹してまわった。
一連の過激性教育の風潮は、この人物の影響が大きい。

彼の年来の主張は

  「人類の21世紀におけるユートピアは
  『エロスコンミューン』の実現にある」

  「エロスとは、全ての人間の根底にある、
  人とのゆるぎない性的ふれあい」

  「コンミューンとは
  管理や抑圧や統治されることから自らを解放する、
  自覚的な個人と個人の共同体」

  「いつ誰とどんな状況で性交するかは
  まったくその人の生き方であって、
  人から指示されたり規制されたりすることのない、
  主体性にかかっている」

  「男と女とは、たとえ結婚に結びつかなくても、
  婚前でも、婚外でも、たとえ親子の不倫でも、師弟でも、
  まさに階級や身分や制度を越えて
  愛し合うことが可能なのである」

婚前でも、婚外でも、はたまた親子でも・・
絶句としかいいようがない。
それって近親相姦ってことでしょ。
こういう人物が教育現場で子どもに性教育を教えていた。

さて、この山本直英氏が信奉していたのが、
ジェンダーフリーの淵源の一人、ヴィルヘルム・ライヒ。

ヴィルヘルム・ライヒ。
フロイトのもっとも有能な弟子の一人。
マルクス主義と精神分析を総合し、性の全面開放を訴えた。
性的エネルギーの開放を阻害する道徳・制度などが、
性障害や神経症の原因であり、
抑圧を解き、性を開放することが
社会革命の根本と説いた。

ライヒ曰く、

  「結婚まで純潔を
  守らなければならないという考え方は
  ブルジョアが発明したものだ」

マルクス主義の影響がプンプンと臭っているね。

彼は家庭を壊すことが革命につながると考え、
家庭を壊すために性を解放する必要があると語った。

  「まっさきに保守主義の
  イデオロギー的雰囲気がはぐくまれる場所が
  権威主義的な家庭だ」

  「保守主義の考え方によれば
  家庭こそ基盤、つまり人間生活の中心というわけだ」

彼は意図的・戦略的に家庭を崩壊させ、
国家秩序・資本主義、
そして社会道徳の解体を構想した。

狂ってます。
狂ってるとしか思えません。

以下、続々と狂気の思想家が続きます。


次はクリシティーヌ・デルフィ。
ジェンダーフリー教徒の神様みたいな存在。

日本の体制内に
ジェンダーフリーの思想が入り込んだのが
平成11年の男女共同参画社会基本法の成立。
ジェンダーフリー派はこの法律を拠り所に
各都道府県にて同様の男女共同参画条例を制定させ、
思想の浸透を図っている。

この法律を制定する際に
原案作成の審議会のメンバーに
ジェンダーフリー論客の大御所的存在、
東大教授の大沢真理氏が選ばれた。
法案は、ほとんど彼女が主導する形で作成され、
やがて国会にて満場一致で可決された。
まあ、この成立過程は後日詳しく書きます。

で、この大沢真理氏の
思想的なバックボーンになっているのが
上記のクリシティーヌ・デルフィ。

クリシティーヌ・デルフィ。
フランスのマルクス主義フェミニスト。
「ジェンダーフリー」の創始者。
かの上野千鶴子東大教授が、
「八〇年代のジェンダー論に決定的な転換をもちこんだ」
と評した人物。

ラジカル・唯物論フェミニストと呼ばれ、
男女の権力関係を分析する概念としてジェンダー論を展開。
フランスの組織「女性解放運動」(MLF)の中心的存在で、
男性に対する強烈な敵愾心を持つ活動家だった。

デルフィの思想は
従来の「セックスとジェンダーは別ものだが、
まずセックスがありジェンダーがある」という見方を否定し、
「ジェンダーがセックスよりも先行する」と、
ジェンダーからの解放を訴えた。
デルフィは、社会的にも生物学的にも
男女を区別することを否定するという、
ラジカルな理論を構築した。

セックス(sex)とは「生物学的性別」、
ジェンダー(gender)とは「社会的文化的性別」をさす。

つまり図解すると、

  セックス(性別)があるから
     ↓
  ジェンダーが生まれた
  
のではなく、

  ジェンダーがあるから
     ↓
  セックス(性別)があるのだ

どう考えても倒錯してるんですが・・。

男性と女性は作られるのであって、
生まれながらのものではない。
男女に本質的な違いなどない。
そういう発想。

どう考えても無茶苦茶なんですが・・。

大沢真理氏の言葉で言うならば

  「セックスが基礎で、
  その上にジェンダーがあるのではなくて、
  ジェンダーがまずあって
  それがあいまいなセックスにまで
  二分法で規定的な力を与えている」

  「女で妊娠したことがある人だったら、
  自分はメスだと言えるかもしれないが、
  私などは妊娠したことがないから
  自分をメスだと言い切る自信がない」

いや、あなたはメスですよ。
厳然とした女性ですよ。

このデルフィの思想は
男女の生物的な違い、生得的な違いを
全く無視してしまっている。
「そんなもん無いよ」と自ら目をふさいでいる。

この発想の根本にあるのは
彼女の男性に対する憎しみと劣等感。
それを心理的に補償し、
己の劣等感を無意識に正当化させるために
こういう理論を考え出したんでしょう。
  
フロイト的に言うならば
性とは何と恐るべきものか。
歪みが劣等感を作り、劣等感が補償を求める。
そして自ら「男女の違いなんてない」という、
現実無視の、現実逃避の理論を構築してしまう。
そしてそれが似たような傾向性を持つ人間の心を捉え、
狂気の思想が社会に拡散していく。

さらにデルフィは語る。

  「セクシュアリティはまさに階級闘争の場である。
  それは二つの集団が対決する場の一つであるが、
  それらの集団とは労働者と資本家ではなく、
  社会における男性と社会における女性である。」

  「唯物論を女性の抑圧に応用することと、
  マルクスの資本論の分析を
  家父長制の分析にもとづいて再検討することである」

  「階級、搾取という概念は唯物論の鍵概念である」

  「明らかにマルクス主義は唯物主義である。
  そのかぎりにおいてマルクス主義は
  フェミニズムに応用できる」

マルキストの本領発揮。
彼女の思想はマルクス主義の
階級憎悪・階級闘争の発想とパターンが同じ。


さて、次はフランソワ・マリー・フーリエ。

「空想的社会主義者」フランソワ・マリー・フーリエ。
フェミニズムという言葉を作った人物。
究極のユートピア「ファランステール」
と呼ばれる共同体を夢見た。

「ファランステール」においては
一夫一婦制は無意味となり、
恋愛や結婚は従来の拘束から解き放たれ、
風俗の自由が提唱され、
夫婦が「2組、3組、あるいは4組」で交際することが可能になる。
さらに家族が廃止されるので、料理、育児等が外注化される。
「スカートとズボンという対照的な衣服で
男女を区別すること」が避けられる。

これはカルト思想そのもの。
このフランソワ・マリー・フーリエの思想は
後のマルクス主義に大きな影響を与えた。


さてさて、3人の
ジェンダーフリーの淵源たる人物をあげました。

◇ヴィルヘルム・ライヒ

◇クリシティーヌ・デルフィ

◇フランソワ・マリー・フーリエ

この3者の共通項は何でしょうか?

ハイ、そうなんです。
マルクス主義です。
ジェンダーフリーの根っこには
マルクス主義的な価値観が隠れていたわけ。

実は、そのマルクス主義において、
ジェンダーフリーもどきの家族解体と性の解放路線は
一度実験済みなんです。

ロシア革命後の1926年。
ソ連はその革命理念に則って、
家族を解体し、女性解放を実行しようと以下の諸策を行った。

◇離婚の要件を緩和し、当事者合意の場合はもちろん、
 一方の請求だけでも裁判所はこれを認める。

◇犯罪であった近親相姦、姦通を刑法から削除。

◇堕胎は認定された医師の所へ行けば可能。

◇子どもたちは、親の権威よりも
 共産主義のほうが重要であり、
 親が反動的態度に出たときは
 共産主義精神で弾劾せよ、と教えられた。

◇「重婚」を合法化。

その結果、何が起こったか?
倫理の崩壊である。
そして社会秩序の崩壊。

◎堕胎と離婚の濫用
 1934年の離婚率は37パーセント

◎片親家庭の急増

◎出生率の急減

◎少年非行の急増

◎性の乱脈化

◎治安の悪化と秩序の崩壊。

ソビエト政府の行った、
「革命理論に基づいた」家庭の解体と女性の解放は
社会に惨状をもたらした。

あわてたスターリンは、これらの政策を見直し、
1934年、家族政策および女性政策を
従来のものに改めた。

壮大な文明実験とその失敗。
その失敗済みの思想を
現代日本において、またも繰り返そうとしている。

欧米にて生まれた狂気の思想は
時を経て、海を渡り、
少数の日本人の劣等感に食い込み、
やがて体制内に入り込み、
今や猛威を振るい始めている。

ベルリンの壁崩壊で
一度は死んだように見えた共産主義が
別な仮面をつけて日本を浸食しつつある。

「日本を貶める人々たち」という本の中で
渡部昇一さんがジェンダーフリーについて
たとえ話を書いていた。

  狐が罠にかかって逃げるために
  自分の尻尾を食いちぎって逃げた。

  狐はフサフサした尻尾がないと格好が悪いのだけど、
  この狐は負け惜しみが強くて、若い狐たちに
  「あなたたちは、いつまでそんな尻尾をつけてるの。
  私を見てごらん。
  軽々と走れるし、邪魔がなくていいよ。」と言った。

  若い狐たちは
  「僕たちも取ってみようかな」と言い出した。
  歳を取った狐たちは
  「昔から付いてるんだから、しばらくつけておいたら」
  と忠告したが、若い狐たちは結局取ってしまった。

  やがて冬が来て、
  若い狐たちはフサフサした尻尾が無くて
  寒さに凍えそうになった。


尻尾の無い狐どもが
己の劣等感を無意識に補償しようとして
愚にもつかない思想で
他人から大事なものを切り取ってしまおうとしている。
巧妙な理屈と幻想を掲げて
狂った思想に他人を同化させようとしている。

このブログの読者は
おそらく20代から40代ぐらいがメインでしょう。
年少であっても10代後半ぐらいかな。

その下の年齢層あたりから
ジェンダーフリーとフェミニズムの思想的洗礼を
教育の場において少しづつ受け始めている。
それは無意識に巧妙に、思想の実態を曝すことなく、
「自分は自分らしく」「個の確立」
「性の自己決定権」という言葉に正体を隠している。


さて、次回は、
このジェンダーフリーが
日本の体制内に入り込み、法制化され、
年9兆円もの予算を獲得していく過程を書きます。



ジェンダーフリー初級編

フェミニズムとマルクス主義

ライヒとその流れ


新・国民の油断
  「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす
 西尾 幹二 (著), 八木 秀次 (著)


反「人権」宣言 ちくま新書
 八木 秀次 (著)


日本を貶(おとし)める人々
 渡部 昇一 (著), 新田 均 (著), 八木 秀次 (著)


フェミニズムの害毒 林 道義 (著)


娘通信♪関連過去記事
ジェンダーフリー考 その1・・堂本県政の狂思想

ドイツと欧州、左翼思想と国家の衰弱。
外国人地方参政権問題その4・・オランダの荒廃。
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by misaki80sw | 2005-03-10 00:26 | 反ジェンフリ・反フェミニズム
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堂本氏がリード、森田氏が追う展開…千葉知事選

 13日投開票の千葉県知事選について、
 読売新聞社は4~6日に世論調査を行い、
 取材結果も加えて情勢を分析した。

 無所属3候補のうち、
 現職で再選を目指す堂本暁子氏(72)がリードし、
 俳優で元衆院議員の森田健作氏(55)が追う展開となっている。

 ただ、有権者の3割近くが態度を決めておらず、
 情勢は流動的だ。

   (読売新聞)


3月13日投票の千葉県知事選。
堂本暁子現知事と森田健作候補が激しく火花を散らしている。

私は堂本知事の落選を願う。
千葉県民でもない私が
何故、この選挙に関心を持つのか?
それはこの知事が左翼系の思想の持ち主であり、
過激なジェンダーフリー論者だからである。

堂本暁子。
1932年生まれ。
東京女子大学文学部卒。
TBSに入社。
1989年、社民党より出馬し、
参議院議員に当選。
NPO法、男女共同参画社会基本法の立法に関わる。
2001年3月、千葉県知事に初当選。

2001年の前回の知事選。
堂本陣営の選対顧問を任されていたのが
「斎藤まさし」という人物。

斉藤まさしさん講演録:市民選挙に勝つ方法

この人物、「市民の党」というミニ政党の代表。
市民の党は全国の自治体にいくつかの議席を持っている。
では、この市民の党とはどういう政党か?
元は共産同(共産主義者同盟)の
マイナーな分派である日学戦(日本学生戦線)が源流。

◇1974年 
  法政、上智、京都、同志社大などの
  ノンセクトグループが日本学生戦線結成。

◇1979年
  日学線及びOB組織、
  「三里塚を支援する労働者の会」を母体に
  「マルクス-レーニン主義・
  毛沢東思想に立脚した新党」結成を掲げ、立志社結成。
  以後、北方領土返還運動、ポルポト派支援運動を推進。
  成田から撤退、市民運動路線へ。

◇1983年
  田英夫、横路孝弘、八代英太らを呼び掛け人に
  MPD(平和と民主運動)結成。

◇1990年 大衆党と名を変える。

以後、護憲リベラル→平和・市民→市民の党、と
コロコロと名前を変えて現在に至る。

この党が一躍名前を全国に轟かせたのが、
2002年4月、横浜市議会で国旗掲揚を巡り、
市民の党所属の2名の議員が
議長席を不法占拠して除名処分となった事件。

横浜市議二名(市民の党)が国旗掲揚反対パフォーマンス

まあ、こういう政党の代表者が
堂本知事の選対顧問をしている。
彼女の思想の傾向性が分かる。

さて、先にも触れたように
堂本知事はジェンダフリー推進論者である。

では、ジェンダーフリーとは何か?

1960年代から70年代にかけて
米国ではウーマンリブ運動が盛んだった。

 女性は男性に支配されており、
 その支配構造から女性を解放するために、
 社会的制度における同等な権利を得なければならない。

これがウーマンリブ運動の概念。

この運動が一定の成果をおさめると、
今度は「男女」という枠組み自体に
差別構造が内在しているという認識に至り、
これを抹消しない限り、
女性の真の解放はないと考えるようになる。

彼女らは
生物学的に規定された性「sex」ではなく、
社会的文化的に規定された性差「gender」を
新しい概念として掲げた。

 ジェンダーとは、生物学的な差異ではなく、
 人間が人為的に作り出した社会的文化的性差であり、
 支配者(男)が被支配者(女)を
 統治するための道具である。

こうして、「男女」という枠組み、
すなわち「男らしさ・女らしさ」を撤廃しようとする動きが生じた。
これがジェンダーフリーである。

ジェンダーフリー推進論者は
ジェンダーのほとんどが
社会的文化的に作られたものだと認識している。
しかし、昨今の大脳生理学の発達が
彼女らの認識は錯覚に過ぎないことを教えてくれる。

いわゆる「男らしさ・女らしさ」とは
胎児の段階から大脳の構造的差異や
男性ホルモン(アンドロゲン)の有無によって
生じることが明確になっている。

もちろん後天的に社会・文化的に
「男らしさ・女らしさ」が身に付く部分はあるでしょう。
でも、男女は根本からして違う。
生まれ落ちた瞬間からその違いは歴然としており、
推進論者の言う「ジェンダー」なる概念は妄想に過ぎない。

「ジェンダー」とは多くの人は誤解しているが、
科学的・生物学的な言葉ではない。
「ジェンダー」という概念は中立でもなんでもなく、
もともとはウーマンリブ運動や
フェミニズムの主張にもとづいて意味が与えられた、
きわめて政治的な言葉。

ジェンダーフリーの論者は
男女の関係を対立する「闘争関係」でとらえている。
その目指すところは「男性の女性化・女性の男性化」。
「無性化」を指向している。
これは性別秩序の破壊。

また、推進論者は
「男女の区別」は差別につながると主張している。
区別が差別?
だって別なものなんだから仕方がないでしょう。

まあ、ここらへんの
ジェンダーフリーの小難しい解説は後日じっくりと書くとして、
堂本知事のジェンダーフリー推進政策を解剖してみましょう。


平成14年9月。
堂本知事は男女参画社会を目指すとして
「千葉県男女共同参画の促進に関する条例案」を
定例県議会に上程した。

この条例案はジェンダーフリーの推進政策そのもの。
そのあまりの内容の過激さに
議会多数派の自民党が継続審議を主張、
事実上の廃案に追い込んだ。

傍聴席の堂本シンパのフェミニスト達が
罵声を浴びせる中で条例案は否欠された。
千葉県議会で県当局が提出した条例案が
継続審議になったのは史上初めてのことだった。

結局、継続審議から廃案となったこの条例案。
これを見ると堂本知事の過激思想がよく分かる。

条例案は全31条、約1万字に及ぶ長大なもの。
主な内容は以下。

◇第3条 基本理念

 社会制度や社会慣行が男女平等を阻害しており、
 それを改めるべきと書いている。

◇第5条 県民の役割
 
 千葉県民を「男女共同参画の促進に努める」存在と規定。
 思想統制そのものの条項。
 促進に努めざるは非県民か?

◇第8条 特定非営利活動法人(NPO)への補助金供与

 堂本知事は
 自分を選挙で応援したフェミニズム団体に
 「特定非営利活動法人」(NPO)の認証を出して、
 補助金をばらまいた。
 選挙資金の還流システムでもある。
 ちなみに千葉県の平成15年度のNPO予算は1億8千万円。

◇第13条 事業者への規制

 企業への統制。
 男女共同参画に非協力的な企業に対して報告を求め、
 問題ありとみなせば「必要な措置を講ずる」とのこと。

◇第22条 入札参加資格審査に当たっての考慮

 これぞ極めつけ。
 ジェンダーフリーに協力的か否かで
 企業への競争入札を左右することができる。
 非協力的な企業を入札から締め出すことも可能。
 恐るべし。

◇第14条 家族経営協定

 主婦の労働を賃金に換算し、
 労働時間や休日、給料など労働条件全般について
 夫と妻の間で協定を締結し、収益の分配などを定める。
 これが「家族経営協定」。

 専業主婦を敵視するジェンダーフリーらしい発想。
 まさに左翼思想そのもの。

◇第16条 ジェンダー・フリー教育の推進

 千葉県下の公立学校において
 ジェンダー・フリー教育を推進する。
 ジェンダー・フリーは県教育の基本理念となる。

 千葉県では条例制定を見越して、
 小学生を対象にしたジェンダーフリー教育の
 副読本を作成した。

◇第17条 性自己決定と性教育

 この部分がジェンダー・フリーの害悪そのもの。
 年少者の性行為は「自己決定権」の名の下に肯定される。
 性行為は本人の意志に委ねられる。
 社会や周囲が規制すべきではない。
 年少の頃(小学生)から積極的に性教育を行う。
 中絶をするかしないかも女性の選択の自由。

◇第19条 ジェンダー・フリーに反する表現の規制

 「性別による固定的な役割分担意識に基づく表現」
 男らしさ、女らしさや男女の役割を強調するような
 広告・宣伝は中止を命ぜられる。
 テレビ、ラジオ、出版物のほか
 インターネットも取締りの対象。

堂本知事はこの条例案を
国会議員時代からの盟友であるジェンダーフリーの過激論客、
大沢真理東大教授らと共に作り上げた。
条例の全文はホームページの片隅に掲載されただけで
県の広報紙などにも概要しか載せなかった。

とまあ、こんな具合です。
廃案になって良かったと思うよ。
ふざけた条例。

実は堂本知事は、この条例案を上程する前に
平成13年9月に県教育長名で
県下市町村教育長と県立高校長宛に
「ジェンダー・フリー教育の推進」
という通達を出している。
この通達は今に至るまでに取り消されておらず、
今も千葉県の教育行政を拘束し続けている。

通達には、

◇積極的にジェンダー・フリー教育を推進する

◇学校生活をジェンダー・フリーな環境に整える

という文言とともに、

 「出席簿等の男女別名簿を見直して、
 男女混合名簿の積極的な導入を図る」

と書かれている。

実はこれは
ジェンダーフリーが教育現場に浸透する際の
最初の一歩として使われる手法。

 学校の生徒名簿を男女別にすると
 男が先で女が後になるから差別である。
 だから男女を混合にすべきである。

これが彼女らの理屈。

何故、先と後の区別がイコール差別になるのか?
では、男女混合にしても
名簿の中でも先の人と後の人の差異は生じてしまうわけで、
こっちは差別にはならないのか?
偏執的な男女差への憎悪。
「区別」と「差別」の違いが分からない人たち。

この通達後、千葉県においては、
通達を根拠に市町村教育長らが
学校現場に男女別名簿導入を強要し、
その結果、県下の小中高等学校における、
男女混合名簿の導入率は、以下のように急上昇した。

    平成13年  14年度  15年度  16年度
小学校   5.6     76.1   86.7    86.9
中学校   2.3     54.4   65.3    66.8
高校    30.3     78.7   91.9    92.4
  (各年度6月時点)

実際に通達の効果は大きかった。
まさに激増だね。

最近、堂本知事は選挙の票目当てのためか
「自分はジェンダーフリーとは無関係」などと
しらばっくれたことを言い始めた。
しかし、この通達は取り消そうともしない。

今後、ジェンダーフリー教育の推進が続けば、

◇男女の呼称を「さん」で統一
◇男女別学の廃止
◇男女混合体育
◇混合の着替え
◇修学旅行などの男女同室の宿泊
◇男女別の色の否定(学生服・体操服)
◇性教育の推進(具体的な人形を使って)

千葉の公立校はこういう風になっていくでしょう。
実際に日本全国の
「ジェンダーフリー教育の先進学校」では
そのような教育が行われている。


上記以外にも、堂本知事の
ジェンダフリーと左翼思想に根ざした行政事例は
枚挙にいとまが無く、
調べてた私も唖然としてしまった。

このジェンダーフリー推進のために
千葉県は「男女共同参画」行政の名の下に
巨額の税金をつぎ込んできた。

平成15年度の
千葉県男女共同参画関連予算は5839億円。
そして堂本知事就任時に
1兆9千6百億円だった県の負債は
4年後の現在では2兆3千8百億円にまで増えた。

県民の予算は
県の倫理と社会常識を破壊することに投入され、
負債は年々増大していく。
このツケを支払うのは千葉県民自身。

為政者が狂えば政治も狂う。
行政のトップが狂った思想にかぶれれば
行政もまた歪んでしまう。

千葉の思想教国化は他山の石にあらず。
今や全国的に起きつつある事例の一つに過ぎない。
狂った思想が政治家と官僚という統治の上層を握り、
法と政策の名の下、日本全域に浸透しつつある。

このジェンダーフリーいう名の白色テロの実態を
これから数回に渡って連載していきます。



国際派日本人養成講座:フェミニズム 対 民主主義

恐るべしジェンダーフリー教育

反フェミニズムサイト

「ジェンダーフリー」 って 何でしょう?

政治談義inちば 大窪由郎のHP:
 堂本暁子とジェンダーフリー推進派の陰謀


千葉県知事選挙まとめサイト


内閣府男女共同参画局

Japan on the Globe 国際派日本人養成講座

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by misaki80sw | 2005-03-08 01:54 | 反ジェンフリ・反フェミニズム