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by misaki80sw

国家と情報機関 その2・・内閣情報調査室


昨年3月29日の産経新聞朝刊に以下の記事が載っていた

☆内閣情報調査室、1000人体制に拡大 米CIAモデルに
 18年度めど首相直轄の新組織
 
 政府は二十八日、平成十八年度をめどに
 内閣官房の内閣情報調査室の人員を大幅に増やし、
 情報収集・分析機能を強化した情報組織に
 改組する検討に入った。
 国際テロや北朝鮮による工作活動などを
 未然に阻止することを視野に
 国家の安全保障や危機管理体制を整備するのが狙いで、
 米中央情報局(CIA)をモデルにした、
 首相直轄の情報機関を目指す。
 新組織の概要を詰めたうえで、
 関係部局や与党と法制面での調整に入る。
 
 政府関係者によると、構想は、
 現行百五十人程度の内閣情報調査室の職員の規模を
 一千人体制に拡大し、
 国家の安全保障にかかわる情報の
 収集・分析能力の向上を図る。
 増員分は法務省管轄下の公安調査庁などから
 職員を派遣して充てる考え。
 これに伴い、同庁は
 法務省の部局として二百人体制に縮小され、
 活動対象は左翼や共産党・旧オウム真理教
 などに限定される方向という。
 
 また、情報収集と表裏一体にある情報保護のため、
 外国・機関への国家防衛機密の漏洩(ろうえい)に
 厳罰で対処する「スパイ防止法」の制定なども
 検討課題となる見通しだ。
 
 日本にはこれまで、
 米国のCIAやイスラエルのモサドに匹敵するような、
 強力な情報機関がなかった。
 加えて冷戦終結後、内閣情報調査室や公安調査庁、
 外務省国際情報局、防衛庁情報本部など、
 情報部門の要員は約三割減らされ、
 予算も大幅に削減されており、
 専門家からは国家的な情報能力の弱体化を
 指摘する声も強まっていた。
 
 しかし、二〇〇一(平成十三)年の
 米中枢同時テロ「9・11」を境に
 日本国内でも国際テロをめぐる脅威や、
 北朝鮮の日本人拉致事件、
 不審船による工作活動への危機感が高まり、
 政府は危機管理体制を早急に整えておく必要があると判断。
 安全保障をめぐる情報機関の機能強化に動き出した。

 与党内でも安倍晋三・自民党幹事長ら幹部が
 日本独自の強力な情報機関の設置に前向きとされ、
 政府・与党は十六年度から、
 構想実現に向けて本格的に動き出す。

   (産経新聞)


私なんかはこの記事を見て
「おおっ、とうとう決断したか!」と喜んだものだが
その後、さっぱり音沙汰がない。
いつの間にか政治家や官僚から圧力があって潰れたのか、
おそらくそんなとこだろうね。

かつて1991年の湾岸戦争時の海部内閣において、
内閣の情報収集機能不足が露呈し、
内閣情報調査室と公安調査庁を統合し、
「新情報庁」という内閣直属情報機関を作る構想があった。

しかし、これも法務官僚の猛反対で潰れてしまった。
じゃあしょうがないってんで
公安調査庁職員の何割かを内閣情報調査室に移そうとしたが、
これも海部内閣退陣で流れてしまった。

戦後、この「内閣情報調査室」という、
内閣直属のミニ情報機関を核として
日本に巨大情報機関を創設するという案が
浮いては消え、浮いては消えを繰り返している。

日本人のCIAなどの謀略機関に対するアレルギーと
政治家や官僚同士の縄張り争いに押しつぶされて、
結局、内閣情報調査室は
その創設の1952年以来、
未だにちっぽけな組織のままである。

おそらく、この機関の設立に関わった人物、
吉田茂・緒方竹虎・村井順の3人は、
この事態を想定してなかったに違いない。

内閣情報調査室。
1952年9月、吉田内閣時に
内閣総理大臣官房に調査室という名称で設置され、
1957年8月に内閣調査室となった。
1986年7月に内閣官房の改編に伴い、現名称に変更。
内外情報の収集と分析・評価を行う。
人員は二百数十名。

内閣官房組織令の第四条で
 
 内閣の重要政策に関する情報の収集及び
 分析その他の調査に関する事務をつかさどる。

と、その役割を規定している。

発足時の1952年、
東アジア情勢は激動の中にあり、
中国は国共内戦を経て
1949年に共産党による中華人民共和国が成立。
1950年は朝鮮戦争が勃発。
また、日本は1952年4月の
サンフランシスコ講和条約の発効によって独立を回復した。

当時、米国は東西冷戦の激化と共に、
日本に共産主義諸国の情報収集と
スパイの摘発を行うために
強力な諜報機関の設立を日本に強く求めていた。

吉田茂首相は
内閣官房長官の緒方竹虎に諮り、
内閣官房内に「調査室」という名称の
小さな情報機関を設立した。
これが内閣情報調査室の源流である。

初代の室長は村井順。
内務省出身の警察官僚。
後に官を退いた後に、
大手警備会社「綜合警備保障」を設立した人物。

村井は戦時中は上海に駐在し、
上海興亜院で諜報工作活動に従事していた。
彼は、そこで多くの現地の特別機関と接触した。

調査室の設立と共に
村井は旧軍の諜報関係者を糾合し、
CIA型の巨大情報機関にまで成長させようと構想していた。
官房長官の緒方竹虎も情報機関の必要性を常々唱えており、
この両者は二人三脚の関係にあった。

ところが1953年、村井は突如失脚する。
欧州出張旅行中に公金横領のスキャンダルが浮上し、
これを嫌った吉田首相が彼を左遷したのである。

ここで内閣情報調査室の巨大情報機関への道は
挫折を余儀なくされた。
以後、その組織規模は固定され、
弱小情報機関から変化はない。


さて、現在の内閣情報調査室の内部構成を詳しく解説する。

内閣情報調査室は略称「内調」と呼ばれている。
人員は二百数十名程度。
他国の情報関係者からは
「CIRO(サイロ)」という名称で呼ばれることが多い。
「Cabinet Information Research Office」の略。

内調の室長は内閣情報官と呼ばれ、
代々、警察庁警備局からの出向者が当てられている。
内調の重要ポジションも
各官庁からの出向者で占められており、
その数は120名に及ぶ。
出向者の中で最大は警察庁で
25名を内調に送り出している。

この陣容を見ていると
内調とは警察の影響を強く受けた、
各官庁の寄せ集め集団であることがよく分かる。

組織構成は以下。

◇総務部

◇国内部

 国内一部:国内情報収集
 
  選挙班
  政務班
  政党班
  労働班

 国内二部:マスコミ・世論情報の収集と対策

◇国際部:対外情報収集担当
     防衛庁情報本部電波部との連絡
     主幹は警察庁からの出向者
 
  商社班:日本の総合商社との情報交換
  交換班:他国情報機関との情報交換、
       リエゾン(渉外)担当
  朝鮮半島班
  中国班
  ロシア班
  米州班
  アフリカ・中東班
  欧州班
  東南アジア班
  軍事班
  特命班

◇経済部

◇内閣情報集約センター(旧国際二部):
  公開情報の収集と大規模災害時の情報収集

  情報班:大規模災害・事件発生時の
        各省庁からの情報収集、
        政府幹部への緊急招集
  庶務班:国内外の公開情報資料の収集と整理
  システム整備班:情報連絡網管理
           情報通信機器の管理.
  ニュース班:各通信社のニュース受信・整理・配布

◇内閣衛星情報センター:情報収集衛星による情報収集。

  業務運用管理センター
  衛星管制室
  画像処理室
  画像解析判読室
  撮画要求管理室
  データ配信管理室


次に、内調の情報収集方法について。

「日本版CIA」などと
たまに呼ばれることもある内調だが、
別に自前の諜報員やスパイを抱えてるわけではない。

主な情報収集経路は以下。

1,公開情報の収集

2,各官庁からの情報収集

3,民間企業・民間団体からの情報収集

4,他国情報機関との情報交換

5,情報収集衛星からの情報

6,委託外郭団体からの情報収集

7,防衛庁情報本部電波部からの情報


この中の「委託外郭団体」とは、
複数の民間団体で

 世界政経調査会、国民出版協会、民主主義研究会、
 JONC、内外情勢研究会、国際情勢研究会、
 東アジア情勢調査会

内調は各団体に一億円以上を払って
情報収集を委託している。
これらの団体は
内調関係者や警察官僚の天下り先としても知られている。

その他に
共同通信、時事通信、ラヂオプレスなどの通信社に
情報の収集を委託することもある。

「防衛庁情報本部電波部からの情報」とは
最も内調の中で秘匿されている情報であり、
自衛隊が日本各地に設置している、
巨大通信アンテナから得た電波情報のこと。

現在の防衛庁情報本部電波部は
かつて陸上自衛隊調査部第二課別室(調別)
と呼ばれていた。
その前が調査第二課二部別室(二別)。

ここからがややこしいのだが、
調別の長は内調の室長が兼ねており、
実は予算も内調の予算から出ていた。
この妙な関係が何故生じたのかは分からないが、
現在は、長も予算も防衛庁から出ている。

その昔からの関係もあって、
防衛庁電波部の情報は
内調情報官と内調国際部主幹のもとに
届けられることになっている。


以上、ざっと内調の概要を書いてきた。
読者の皆さんはどう思ったでしょうか?
意外にいろいろやってることに驚いたかもしれません。

私は、日本に内閣直属の
高レベルな情報機関が必要という観点から、
内調に関しては以下の2つの事を望んでます。

1,内調の組織拡大・再編

2,内調が各省庁の情報をもっと集約すること。

これはいずれ、
私の情報機関設立案として詳しく書くつもりでいますが、
2の「各省庁情報の集約」について
ここで簡単に書いておきます。

日本の行政組織は

 官邸に情報無く、各省庁に情報有り

と、しばしば揶揄される。

もともと内調の組織目的は
自前の情報収集以外に
この各官庁に散らばっている情報を集約することにある。
しかし、これはあまり機能していない。

各省庁としては
総理や総理秘書官に直接情報を耳打ちした方が
自分達の手柄になるわけで、
内調ごときに情報を届けることは無駄だと考えている。

しかし、国家全体の観点から考えるならば、
この省庁からの情報集約は必須でしょう。
そのためには今の内調と省庁の関係を
改めることが必要だと思う。

今の内調は各省庁からの出向者の寄せ集め。
これは各人が出身省庁から情報を集めてこいという、
含みがあることも確か。

しかし、私は逆を考えればいいと思う。
内調の職員を各省庁の中枢部門に出向させる。
で、法令で
「各省庁は内閣情報調査室に情報を集約しなければならない」
と規定し、
さらに内調を「庁」に格上げする。

このぐらいをやらないと
各省庁は自分のところの情報を
決して内調に流そうとしないでしょう。


さてさて、次回は
「防衛庁情報本部」について書きます。
ここも公開情報が少なくて
資料集めに苦労しそうですけど(笑)



内閣官房:内閣情報調査室

内閣情報調査室 - Wikipedia

情報、官邸に達せず:麻生 幾 (著)

公安アンダーワールド:宝島社文庫


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by misaki80sw | 2005-05-17 00:17 | 日本(政治経済)