人気ブログランキング | 話題のタグを見る

misakiのオールジャンル時事評論!


by misaki80sw

日中首脳会談、中国の謝罪無し・・小泉演説の考察

日中首脳会談、中国の謝罪無し・・小泉演説の考察_a0018138_0103757.jpg


日中関係改善、胡主席が強い意欲を表明

 中国の胡錦濤国家主席は23日、
 小泉首相との会談終了後に記者会見し、
 歴史問題での日本側の対応を批判する一方、
 反日デモなどで悪化した日中関係の改善に向けた、
 強い意欲を表明した。

 胡主席は、
 歴史問題と台湾問題での日本側の対応について、
 「いくつかのやり方は従来の約束に背き、
 中国とアジアの人民の感情を傷つけた。
 中国とアジアの人民の強い反応は、
 日本側が深く考えるに値する」と述べた。

 日中関係については、
 「中日友好を発展させるという方針は変わっていない。
 両国の善隣友好をさらに発展させることは、
 両国の大多数の国民の願いである」と述べた。

   (読売新聞)


結局、中国は謝罪の言葉も無しですか・・。

そりゃそうだろね。
こっちから謝罪したわけだから。
日本を屈服させたと思ってるでしょうから
あえて自分から謝罪する必要など感じないでしょう。
胡錦涛氏は意気揚々でしょうね。

正直、馬鹿馬鹿しくて、
このままふて寝したい心境ですが、
他のブログやコメント欄にいただいた言葉を見て
考えたことなどを書きます。

前回の記事↓

小泉首相「謝罪」演説・・道義無く、戦略性無く

これの続編です。


首相の「謝罪とお詫び」演説についてですが、
頭の中でシミュレーションしてみればいいのです。
もし、首相がこの会議において、
ああいう謝罪演説を全くせず、普通に日本の外交戦略を語り
日中首脳会談においては、

 中国の反日暴動は遺憾であり、
 中国側の謝罪と補償を求める

と発言したとしましょうか。

そういう演説と会談内容を想像してみてください。
何か問題があるでしょうか?
これが普通だと思いませんか?
当たり前の人間の当たり前の思考です。

相手の礼を失した言動に抗議し、
相手の暴力行為や恫喝に屈しない。
これが普通です。

しかし、彼は謝ったわけです。
穏便に収めたかったのか、
擁護派の皆さんが言うような、
深い戦略があったのか知りませんが
彼は謝罪したわけです。
まっとうな目から見れば
どう考えても彼の言動はまともだと思いません。

上記の如く、
会議で普通に演説し、
首脳会談で言うべき事を言ったパターンと
今回の謝罪のパターンと
比較したらどっちが良かったのか?

どう考えても前者だと思います。
前者で何か不都合がありますか?

以下、乱暴狼藉に書かせてもらいますが、
日頃、保守系ブログなどで、
左翼の「日本はもっと謝罪すべきだ」などの発言に対して、
批判の論陣を張ってる方々が
こと首相の発言となると
手の平を返したように評価しまくってるのが
笑止というよりも、むしろ不気味です。

仮に日本の首相が、あの河野洋平氏だとして
あるいは村山富市氏だとして、
彼らがあの会議で小泉氏と全く同じ言動をして
日本の過去を謝罪したらどうなるのでしょうか?

 河野洋平 d(>_< )Good!!

なんて言いますか?

首相を擁護する論調の中に
「河野や村山が言ったら嫌だけど、
小泉の発言だから問題ない」との論法があったそうですが、
これは日本的機会主義の典型です。
「中国の核はきれいな核」という論理と全く同じです。

小泉だろうが村山だろうが河野だろうが、
首相として公人としてあの場に行ったならば、
日本の国益と尊厳を守れる人間は評価に値し、
その逆は批判されてしかるべきです。
小泉だろうが村山だろうが関係ありません。

前回の記事中にも書きましたが
あのアジア・アフリカ会議の初回は
1955年にインドネシアのバンドンで開かれました。
あの時、バンドンに集ったアジア諸国の指導者達が
今、この小泉発言を聞いたら何を思うでしょうか?
おそらく悲しみを感じると思います。
日本はいつから毅然とした姿勢を失ったのか、と。

インドのネール、エジプトのナセル、
そしてインドネシアのスカルノ。
彼らは皆、日本の前大戦の意義を高く評価していました。
おそらく彼らが小泉演説を聞けば
同じ日本人の姿だとは思えないでしょう。
まあ、周恩来のみは
ひとりほくそ笑むのでしょうが。

過去の謝罪、こういうことは
軽々しくやるものではないのです。
日本の戦後の対中外交の失敗は
「中国に対するおもねり」
これに尽きます。

言うことを言わず、何かあれば謝罪する。
その姿勢こそが中国をして
日本を軽くあしらえる相手と思わせてしまい、
今の尖閣諸島や東シナ海の海底ガス田の問題に
つながっていきました。

媚中の外務省を罵りつつ、
首相の謝罪にはコロリと高い評価をする。
こういう感覚は正気を疑います。
一種の二重基準です。

首相個人の人間的魅力は理解できますが、
それが彼の行う政策や政治的言動の評価に
バイアスがかかるようでは
国家や社会に対するまともな分析などできません。

さて、以上の論旨の大半は
日頃、保守系人士たちが
左翼に対して言ってる論法そのままです。
それを同じ保守系の人に使わなければならない事実に
私は呆然としてしまいます。



娘通信♪関連過去記事
小泉首相「謝罪」演説・・道義無く、戦略性無く
by misaki80sw | 2005-04-24 00:15 | 中国・台湾関連