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by misaki80sw

ジェンダーフリー考 その9・・憑依された国家


「ジェンダーフリー考」の最終回です。
今日は3つの柱を立てて書きます。

◇性教育、米国の現状

◇教育界の人材について

◇政治家の責務について


<性教育、米国の現状>

70・80年代に「性革命」の嵐が吹き荒れた米国。
カウンターカルチャーとウーマンリブ、
フェミニズムの台頭とフリーセックス。

これと期を一にするかのように
家庭の崩壊と性の乱脈が始まった。

離婚率は50%に達し、
そのうち71%が3年以内に再婚。
さらにその60%は再び離婚して、
3回4回の離婚は当たり前。
夫婦は互いに連れ子だらけ。

子供の60%が18歳までに両親の離婚を経験し、
その3分の1が親の再婚と2度目の離婚を経験。
そのため、継母・継父による児童虐待が
大きな社会問題となっており、
現在報告されているものだけでも、
年間2百万件を越えている。
このような家庭環境で育てられた子供が、
さらに少年犯罪や麻薬に走り、
また10代の出産が増える。
まさに家庭崩壊と性の低年齢化の悪循環。

60年代から80年代にかけて、
米国の凶悪犯罪は実に6倍近く増加。
婚外子が4倍、離婚率も4倍に増えた。
また、10代の妊娠も深刻で、
毎年20歳前の女性の10人に4人が妊娠し、
その数は100万人に達している。

しかし、90年代後半から、
この傾向にストップがかかるようになってきた。
米国はレーガン政権のあたりから
「家庭の尊重」「家族の価値」が叫ばれるようになり、
クリントン政権、ブッシュ政権を経て、
いっそう、その声は盛んになっていく。

昨今の米教育界では
「人格教育」「純潔教育」が息を吹き返しつつある。

「人格教育」とは善悪の価値を明確に示す教育。
それまでの「非指示的アプローチ」教育では、
子供の自主性を尊重するという建前から
教師が善悪の峻別を明確に言うことは少なかった。

しかし、規範無き教育は
無秩序と倫理の低下につながり、
個人の性の自由と権利の名の下に
性道徳は崩壊していった。
性道徳の崩壊は妊娠の低年齢化につながり、
必然的に避妊を推奨する性教育が盛んとなった。

その反省から、
善悪を明確に言う「人格教育」が復活した。
米国教育省は、94年から小中学校教育令によって
「人格教育」を認可し、全国的に推進している。
現在、NSBA(全米教育委員会連合)の3206学区のうち、
45%が「人格教育」を導入している。
また、36%は近いうちに導入したいと考えているという。

「純潔教育」は
純潔あるいは自己抑制を重視する教育。
現在、米国の公教育で採用されている純潔プログラムは
10種類以上ある。
その多くはレーガン政権下で開発されたもの。
同政権は年間200万ドル(約2億円)を投入して、
青少年の性行動の自己抑制を奨励する教材の開発を勧めた。

レーガン政権の8年間は
米国でエイズ患者が急増した時期でもあり、
性の乱脈に政権担当者達は相当の危機感をいだいていた。

この中で、もっとも広まっている純潔教育カリキュラムは
「セックス・リスペクト」(性の尊重)と呼ばれるもの。
具体的には「アージン(性欲)をコントロールせよ。
バージン(処女)であれ」をスローガンに、
結婚まで性関係を控えることを奨励する。
イリノイ州を中心に、全米で千校以上の中学校で採用され、
大きな効果をあげている。
 
また、1989年から始まった「フリーティーンズ」は
メディアで宣伝を行い、純潔の道徳的価値を説くとともに、
エイズ感染の恐ろしさを説明しながら、
エイズ防止の絶対的な手段として純潔の重要性を訴える。
このプログラムはニュージャージー、ニューヨーク、
カリフォルニアなど、30州の教育機関で採用されている。

1996年以降、時の政権は
10代への純潔教育に年間五千万ドル近くを投入してきた。
ここらへん、年間に男女共同参画関連予算9兆円をかけて
国家自らが教育を破壊しつつある日本と正反対。

さて、この結果、
米国の性の乱れは徐々に落ち着きを見せ始めている。
1991年、高校卒業までの性交体験率は72%だったが、
それが10年を経て62%にまで下がった。
また、10代の出産は
1991年がピークで千人当たり62.1件。
その後下降し、95年には56.8件に減少。
さらに2000年には48.7件まで減った。
妊娠も、91年の117件(千人当たり)から
95年は101件と減り、
その後も減少傾向が続いている。

米国の得た教訓は
行き過ぎたフェミニズムと権利の乱用は、
道徳と秩序の崩壊につながるということ。
特に家庭・家族、そして子供にしわ寄せがいく。

離婚の激増、経済的困窮、児童虐待、
アルコール・麻薬中毒、犯罪の急増。
これらの問題は国家を揺るがし、
倫理の崩壊は国力の低下につながる。
また、社会問題の激増は社会的コストを増大させ、
国家財政を圧迫する。

70年代から80年代にかけて
米国の代名詞であった教育の崩壊と性の乱脈化に
歯止めがかかりつつある。


<教育界の人材について>

さて、これまでの回の中で、
ジェンダーフリーの教育界への浸透について
あれやこれやと書いてきました。

ジェンダーフリー考 その6・・教育の惨状(前編)

ジェンダーフリー考 その7・・教育の惨状(中編)

ジェンダーフリー考 その8・・教育の惨状(後編)

「教育の惨状」というサブタイトルを掲げましたが、
その荒廃ぶりはひどいものです。

ちょっとジェンダーフリーから話が逸れますが、
私はあれを書いてて「教育界の人材のレベル」について
考え込んでしまいました。

たとえば実業の世界なんかと比較してみても、
何故、教育界において、
この手の魑魅魍魎の思想が跋扈するのか?
それはジェンダーフリーに限らず、他の左翼的思想もそう。

◇日の丸君が代反対

◇自虐的歴史教育

◇自衛隊反対

国民的常識とは正反対の発想が
教育界では当然のように罷り通ってしまう。

たとえば彼らは職場で思想宣布をすることが好きだが、
他の世界でこういうことってありえますか?
上司である校長・教頭や、
その上部機関である教育委員会の方針に平然と逆らう。
こういうことって他の業界でありえますか?

製造業では?
金融業では?
物販業では?
不動産業では?
他の世界ではありえないこと。
それが教育界では当たり前のように起こる。

何故か?
ハッキリ言いますが、
教育界って人材のレベルが低いんじゃないの?

いろいろ他にも理由はあるでしょう。
競争原理が働かない、
世間の波にもまれない為、
社会的に認知されない思想が
教育界では純粋培養で増殖してしまう、
左翼系組合の力が強い、等々等。

でも、根本は人材のレベルだと思う。
もちろん、優れた先生はいらっしゃるし、
日夜研鑚に務めている教師もいるでしょう。
それは否定する気は無いし、
そういう方々にとっては心外かもしれない。

しかし、もっと大きな視点から教育界を俯瞰して見ると、
この業界には、世に大きな影響を与える人物、
「巨人」的な存在がいないことに気づかされる。

人のあり方、人生とは何か?
良く生きるとはどういうことか?
人としての倫理はもちろん、
社会のあり方、国家の進路について、
自分の属する業界を飛び越えて
社会と国家にその言説でもって影響を与える人物、
「謦咳家」のような存在が見当たらない。

かつて日本は、教育界に巨人を輩出した。
福沢諭吉然り、新渡戸稲造然り、新島襄然り。
あるいは安岡正篤然り。
最近では渡部昇一氏然り。
しかし、現代には他に誰が存在する?
全く見当たらないでしょう。

かつて明治政府は開明事業において
福沢諭吉の意見を聞くことが多かった。
彼は慶応義塾を創設した教育家であり、
その著書によって明治の人間の生き方や
国家の進路に多大な影響を与えた。
今、教育界にそういう存在がいるだろうか?

もちろん、大学教授などで
テレビ出演や著作などによって世間に影響を与える人はいます。
ただ、その場合は自分の専攻分野に限定された影響力であって、
人の倫理や国家のあり方など
「人の世の根本義」に影響を与えてるわけではない。

本来、教育界とは
その手の「時代を越えた人物」を
他の業界よりもはるかに多く輩出する土壌だと思うのだけど、
日本の教育界の現状は全く逆。

それは何故か?
まず、教育界は日本の有為な人材を吸収しきれてない。
人材の多くは官界や法曹界・実業界に行ってしまう。
また、人材が入ったところで
それが大樹に育つ環境ではない。
この2点でしょう。

結局ね、「ジェンダーフリーが教育に浸透」たって、
そんなもん現状論・結果論でしかない。
本来、教育界の人たちが粒揃いの人材であれば、
こんな怪しげな思想など浸透するはずがない。
それを受け入れる土壌がそこに存在したということでしょう。

極論するならば、
魑魅魍魎の教師集団に
魑魅魍魎の狂気の思想が感染しただけ。
類は友を呼び、
レベルの低い教育界に同レベルの思想が
馴染むように浸透しただけ。

確かに男女共同参画基本法なる悪法が制定され、
ジェンダーフリーがお上の遂行命令として
下ってきたことも理由の一つでしょう。
でも、この惨状はそれだけじゃ説明がつかない。

心ある人々は
教育へのジェンダーフリーの浸透を嘆く。
政治家連中は過激な性教育の実態を
国会で山谷えり子議員などに教えられ、
目を白黒させ、「それは問題だ」という。

でもね、この問題の根本原因は
教育界のレベルの低さにある。
教師達が高徳にして見識高き人々ならば
決してこういう問題は生じなかった。

ジェンダーフリーの排除も必要だけど、
それ以上に、それをあっさりと教育現場に受け入れ、
狂思想に自ら進んで憑依されてしまった、
彼らの質の悪さを改善すべき。

ここの部分を改善しなければ
教育界からジェンダーフリーを追い払ったところで
また別の怪思想がやってきたら、
彼らは再度、己の魂を売り渡すでしょう。

悪草をいくら引っこ抜いても、
それが育つ土壌自体を変えない限り、
また別種の悪草がそこで根を生るでしょう。

国の基は教育にあり。
これが単なる謳い文句と思わないならば、
教育界の人材の質を高めるべく、国家は努力すべき。
教育改革がどうだこうだと言ってるけど、
技術的なことをあれこれいじるだけではなくて
人材のレベル向上という観点から考えること。
そして、それは既属の人々の向上を考える以上に
業界に良き人材を流入させるという観点を持つこと。
今まで実業の世界に流れていた人材を
再び教育界に呼び戻すこと。

粒揃いの人材を揃え、磐石の体制を敷くこと。
そうすればジェンダーフリーなんて、自然に解消してしまう。
これらの観点が大事かと思います。


<政治家の責務について>

教育界と同じことが、政界にも言えます。

私が、この「ジェンダーフリー考」シリーズの
構成を考えるにあたってイメージしたことは、
一本の大河の上流が汚染され、
その汚れが下流へ、支流へと広がっていく様子です。

源が汚され、濁流が川下にまで広がり、
魚達が腹を出してプカプカと浮き上がる。
そのイメージを基に各回の構成を考えました。

◇国法へのジェンフリの浸透・・男女共同参画基本法の制定
       ↓     
◇政界・官界が汚染・・内閣府内に男女共同参画会議設置。
       ↓
◇地方自治体に汚染が波及・・各自治体で男女共同参画条例が
              ラッシュのように制定されていく。
       ↓
◇教育現場への浸透・・ジェンダーフリーに基づいた教育
           過激な性教育


この浸透の過程を見てて思うのは
敵手たるジェンダーフリー論者達は
非常に狡猾で戦略的だということです。
まず、大河の源から押さえたわけです。

その源の汚染の端緒を作ったのは、
1999年の男女共同参画基本法の制定です。
ここから全ては始まりました。

今、人権擁護法案に対して反対論が巻き起こり
政界でも一部の議員達が激しく抵抗しています。
彼らの胸中にあるものは、
かつて男女共同参画基本法を通してしまった、
自責の念だと思います。
「あの轍は二度と踏みたくない」
それが彼らを駆り立てている思いでしょう。

ここで私が彼ら政治家諸氏に言いたいのは、
己の失態のツケは己で始末をつけろ、ということです。
かつて悪法を易々と通し、
国家を狂思想に憑依されてしまった責任は
当時国会議員だった諸氏が負うべきでしょう。
己の過失は己で始末すべし。

もちろん私は、なんでもかんでも政治家が悪いと、
国政の全ての諸悪を彼らの責任に帰すような
そういう幼稚な発想は嫌いです。
政治家のレベルはイコール国民のレベルであり、
それは国家の民度の反映でもあります。

しかし、ジェンダーフリーが広まる端緒を見逃し、
みすみす川の源を汚されてしまった責任は大きいでしょう。
悪法を悪法と見抜けずに挙手賛成をしてしまった諸氏は、
己の見識の浅はかさを痛感してほしいと思います。

政治家にとって「無知」とは罪悪です。
一般人にとって「無知」とは
単なる短所の一つに過ぎませんが、
政治家にとって無知は罪です。
無知なる政治家は存在自体が害悪です。

憲法では国民の被選挙権を認めていますが、
私は政治家になるということを「権利」と捉えてほしくないのです。
自らの一つ一つの判断や立案・決定・選択が
数百万人から数千万人、あるいは数億人の幸不幸を左右し、
その時々刻々での判断ミスが日本という大河の源を汚し、
下流では死屍累々たる惨状が現出する。
この状況を見つめた時に、
「立候補は国民の権利」などというような
安直な意識で政治家になってほしくありません。

このジェンダーフリーという悪流に対し、
抵抗している人たちもいます。
良心あふれる一部教師たち、勇敢な少壮地方政治家、
国民世論に訴え続けている著述家・学者たち。
しかし、彼らの勇気ある抵抗も
この濁流の流れを押し留めることは不可能でした。

政治家諸氏よ。
貴方たちは日本という大河の源流の番人です。
源流から流れ出ずる清流が
川下の一億数千万の喉を潤します。
それはやがて大海に至り諸国の人々をも潤します。

かつて自らの過失により、この源を汚してしまったのなら、
貴方らは己の良心にかけて清き流れを取り戻すべきです。
汚れの根源を取り除き、
川下の人々を苦悶から解き放つべきです。

端的に言うならば、
男女共同参画法の廃止、
内閣府内の男女共同参画会議の廃止、
国連の「女子差別撤廃条約」からの脱退、
そして国家の名において
「家庭の尊重」「家族の尊重」「伝統的価値観の尊重」
国家の基は健全な家族・家庭にあることを明確に宣言すること。

これをやっていただきたい。
日本をジェンダーフリーという悪霊の憑依から
解き放っていただきたい。



さて、今回で「ジェンダーフリー考」は終了です。
長らくお付き合いいただきありがとうございました m(__)m
今後も個別にこの狂思想の弊害について
取り上げていくつもりです。

最後に、この問題に関心を持ってる人に
関連サイト・関連資料のリンクを張っておきます。
ご参考までに。


<関連サイト・ブログ>

反フェミニズムサイト

林道義HP

山谷えり子議員サイト

のまりんの部屋

長尾誠夫のHOTPAGE

フェミナチを監視する掲示板

税金で言いたい放題!やりたい放題!の
 フェミたちを晒すサイト


これでいいのか?性教育-教室はアダルトショップ

川崎市の教育を考える会(仮)

★★★ 桜魂 ★★★

富士山2000の日記

人づくり県民ネットワーク

ジェンダーフリー初級編

ジェンダーフリーに隠された
 「セックスフリー(性別撤廃)」という狂気!



<関連資料>

国際派日本人養成講座:フェミニズム 対 民主主義

国際派日本人養成講座:
 山谷えり子 ~ お母さん議員、奮闘す


月刊「正論」:
 内閣府男女共同参画会議の恐るべき戦略


月刊「正論」:
 過激性教育の“伝道者”たちよ、そんなに批判が怖いのか!


月刊「正論」:
 子供たちに家族解体を教え込む教科書の恐怖


月刊「正論」:
 ジェンダーフリーの元祖はやっぱりマルクスとエンゲルス


月刊「正論」:フェミニズム条例を一掃しよう!

フェミニズムとマルクス主義

ポスト・マルクスの群像

純潔重視で十代出産が減少した米国

米国は今、人格教育推進

米国:公教育で効果をあげる純潔教育


<関連報道>

産経Web【教育を考える】

都立の養護学校、過激性教育 校内文書で判明

「ジェンダーフリー」教育現場から全廃 東京都

「過激性教育」の実態 調査方法を検討 中山文科相

過激性教育 首相「これはひどい」参院予算委

「必要な男性器の長さは?」
 大田区の中学教師、テストに出題


「さん付け」統一に反対 文科相「個人の自由」 衆院委

行き過ぎた性教育に歯止め
 文科省が「調査研究委員会」発足


日教組教研集会「ジェンダーフリー」報告

ジェンダーフリー条例 施行2年で消滅

福島県教委 「ジェンダーフリー」掲げる県立高
 表現見直しを指導



<参考書籍>

新・国民の油断
 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす
 西尾 幹二 (著), 八木 秀次 (著)


国を売る人びと―日本人を不幸にしているのは誰か
 渡部 昇一 (著), 八木 秀次 (著), 林 道義 (著)


反「人権」宣言 ちくま新書
 八木 秀次 (著)


日本を貶(おとし)める人々
 渡部 昇一 (著), 新田 均 (著), 八木 秀次 (著)


フェミニズムの害毒 林 道義 (著)

*ブレンダと呼ばれた少年:
 ジョンズ・ホプキンス病院で何が起きたのか
 ジョン コラピント (著)



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ジェンダーフリー考 その8・・教育の惨状(後編)
ジェンダーフリー考 その7・・教育の惨状(中編)
ジェンダーフリー考 その6・・教育の惨状(前編)
ジェンダーフリー考 その5・・ブレンダと呼ばれた少年
ジェンダーフリー考 その4・・保守の油断(後編)
ジェンダーフリー考 その3・・保守の油断(前編)
ジェンダーフリー考 その2・・尻尾の無い狐
ジェンダーフリー考 その1・・堂本県政の狂思想

左翼最後の悪あがき:「無防備地域宣言」運動。
ドイツと欧州、左翼思想と国家の衰弱。
外国人地方参政権問題その4・・オランダの荒廃。
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by misaki80sw | 2005-04-08 01:37 | 反ジェンフリ・反フェミニズム