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by misaki80sw

ジェンダーフリー考 その5・・ブレンダと呼ばれた少年

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ジェンダーフリー論者は、男らしさ・女らしさというのは
環境によって作られるものであり、
本来、人間には生物的に男女の差などない、と主張する。

まあ、私なんかから見ると
どう考えても妄想としか思えず、
「虚構の論理」を崇めている信徒のように見える。

その日本のジェンダーフリー論者が
己の思想の論拠としているのが
「マネー理論」と呼ばれるもの。

ジェンダーフリー論者の拠点で
公費で設立された国立女性教育会館が編集した、
「女性学教育・学習ハンドブック
ジェンダーフリーな社会をめざして」
という本の中には、

  社会的に自分は
  「女である」「男である」と認識することを
  ジェンダー・アイデンティティ(性自認)という。
  解剖学的な性と性自認とが一致しない場合がある。
  
  J・マネーはその著「性の署名」の中で、
  長い間女の子として育てられた子供は、
  たとえ解剖学的に男の子であっても
  女の子として性自認が形成されているので
  女の子としての役割を習得する。

  つまり性自認の方が解剖学的な性よりも
  強力である事例を報告している。

と書かれている。

また、日本の代表的ジェンダーフリー論者で
東大教授の上野千鶴子氏は、
2002年に出版した『差異の政治学』で、
マネー理論をジェンダーフリーの論拠としている。

では、「マネー理論」とは如何なるものか?
J・マネーとはいかなる人物か?

ジョン・マネー。
1921年、ニュージーランド生まれ。
25歳で米国に渡り、心理学の博士号を取得。
ジョンズ・ホプキンス大学教授で
性科学の権威としてもてはやされた人物。

「ジェンダー・アイデンティティ」という言葉を
作り出したのも、このジョン・マネーで、
自らを「性の伝道師」と呼んだ。
彼がこのマネー理論を構築した。

「男か女か」という性意識は生得的なものではなく、
生育後の環境が性を決定するという理論。
男か女かという、
性のアイデンティティーが確立する2歳までであれば、
性を自由に変えることができると主張した。

彼はこの仮説を実証する必要があった。
2歳未満の幼児の性を転換させる。
男として生まれても、女として育てれば女に育つ。
逆もまたしかり。
この彼の異常な理論が一人の人間の運命を狂わせた。。

1966年4月27日。
カナダ生まれの一卵性双生児(男児)の一人が
包皮切除手術の失敗により、
男性器の大半が焼き焦がれて損傷した。

男児の名前はブルース。
執刀医のミスで男性器を失ってしまった。
ブルースを診察した医師は

 「おそらく青年期になっても
 正常な性生活を送ることができない。
 やがて本人は自分のことを不完全だと思うようになり、
 肉体的な欠陥を意識して、
 孤独のうちに生きていかねばならなくなるだろう」

と診断した。

悩んだ両親、父親のロンと母親のジャネットは
ジョンズ・ホプキンス大学病院を訪ね、
当時、性科学の権威として脚光を浴びていた、
ジョン・マネーに相談した。

マネーは己の理論を実証するチャンスが来たと確信した。
「男児を女の子として育てるように」両親を説得した。
マネーは「どう考えてもうまくいかないわけがない」と断言。
両親は悩んだ末にこの提案を受け入れた。

60年代当時、半陰陽の成人に対する、
性転換手術は盛んに行われていたが、
正常な男児を女児に性転換したという例はなかった。

1967年7月、男児は性転換手術を受けた。
去勢手術である。
ブルースはブレンダと名前を変えられ、
女の子として育てられた。
人形で遊ばせ、髪は巻き毛が耳の下まで伸びるに任せた。
さらに夫婦はマネーによる追跡検査のため、
年に一度、二人の子供、
「姉」のブレンダと弟のブライアンを連れて
彼の大学病院を訪問し続けた。

マネーは両親に念を押した。
「決して真実をブレンダにつげてはならない。
自分が女の子でなかったことを知るべきではない」と。

外形的にはブレンダは、栗色の巻き毛の
ほっそりとした茶色い目の可愛らしい少女であったが、
内面は全く違っていた。

ブレンダには最初から女らしいところは微塵もなかった。
ドレスを引き裂こうとし、父親の髭剃りに興味を持った。
去勢後もオシッコは立ってしていた。

弟のブライアンは言う。

 「ブレンダには全く女らしいところはなかった。
 女らしさのおの字もなかったよ。
 歩き方も男みたいだったし、座る時はいつも脚を広げてさ。
 話し方だって男みたいで、家を掃除したり、結婚したり、
 化粧をしたりすることなんてことには興味も示さなかった。」

 「俺達は二人とも、男友達と城をつくったり、
 雪合戦をしたり、軍隊ごっこをするのが大好きだった。」

ブレンダの祖母は、

 「私があの子の男の子ぽいふるまいに気づいたのは
 通りの向かいに住んでいる男の子と喧嘩した時だった。
 その男の子はブレンダを殴ろうとしたんだけど、
 ブレンダは迷わず殴り返したの」
 
ブレンダ自身、
自分は男なのか女なのかということに苦悩していた。
彼は後に、幼少期を振り返ってこんなふうに述べている。

 「俺はいつも自分が弟と同類だと思っていたんだ。
 俺たち二人は兄弟なんだって認識が強かった。
 それは自分がドレスを着ていようがいまいが
 関係のないことだったんだ。」

 「みんながみんな、俺に言うんだ。
 おまえは女の子だって。
 だけど俺は自分のことを女の子だと感じられなかった。
 とにかくしっくりこないんだよ。」

 「で、俺は思ったんだ。
 何かが間違ってるってね」


しかし、マネーは1972年、
その実験がうまくいっているかの如く、
論文「双子の症例」を発表した。

この症例が双子の兄弟の一人であることが大きかった。
つまりマネーは自分の実験に
生物学的に限りなく等しい一組の子供を得たことである。
二人の子供は、DNAに同じ遺伝子の青写真が刻まれ、
脳と神経系統は子宮の中で
同じホルモンの影響を受けて生まれた。
症例としては、これほど都合のいい素材はなかった。

この論文「双子の症例」とそれに基づくマネーの著作は、
「性別の自己認識は環境的要因によって決まる」
というマネー理論の実証事例として
医学界に大きな衝撃を与えた。
当時、急激に勢力を拡張しつつあった、
女性解放運動に影響を与え、
現代のフェミニズムの拠り所として広く引用された。

マネーは40年の研究生活において
最も輝かしい成功をおさめ、
1997年には「今世紀で最も偉大な性科学者の一人」
として賞賛された。

1973年のタイムズ誌は報じている。

  男性的および女性的行動における従来のパターンは
  変更可能であるという、
  女性解放運動者たちの主要な論点を
  強く支持するものである。


しかし、ブレンダの異様な行動は
母親からマネーに逐一報告されていた。
だが、マネーは「時間が経てば全て解決する」
などと言うばかりで、これらの事実を隠し続けた。

ブレンダは後に語った。

 彼らは言ったよ、
 女の子であることを恥じては駄目だって。

 マネーの同僚の女の人は言ったな。
 「あなたはただのお転婆なのよ」ってね。
 いや、それはちょっと違うんだよ。
 そうじゃないんだよって。
 
自分の性に関する混乱を訴えようとしても
マネーたちは真剣に耳を傾けなかった。

マネーは
ブレンダに女の子としての自己認識を植え付けようと
膣形成手術を要求し続け、
豊胸のため女性ホルモンを飲ませた。
また、ポルノを見せたり、
弟のブライアントと性行為の真似事までさせた。
この治療は双子の兄弟の心に深い傷を残した。

脳の構造的性差が
十分に解明されていなかった時代とはいえ、
生物学的性差を無視して
狂気の人体実験を行ったジョン・マネー。
狂信的な性解放論者だったマネーには
実は幼少期に深刻なトラウマがあった。

マネーは、幼い頃に亡くなった父親が
鳥を無慈悲に殺すのを見て
「野蛮な男らしさ」に対する嫌悪感を生涯抱き続けた。
8歳の時、父親の死以後、母親や未婚の叔母に囲まれ、
女性的な環境で育てられたマネーは、

 「私は自分が男であることに
 罪の意識をおぼえ、苦しんだ」

と述懐し、

 「家畜だけでなく、人間の男も誕生時に去勢されたら、
 世界は女性にとってより良い場所になるのではないか」

と記し、
自分の性に強い否定感情を抱いていたと思われる。

マネーは若い頃には「性革命の扇動家」として、
フリーセックス、サド・マゾヒズム、スカトロジー、
切断願望、自己絞殺、小児愛に関心を示し、
その種の著作もある人物であった。


ブレンダは長じるに従って
マネーから「膣形成手術」を受けるように迫られた。
狂気のマネーは、これを受けさせることによって
ブレンダの「女性化」は完璧なものになると思っていた。

だがブレンダは拒み続けた。
すでに自分の中に芽生えつつあった、
ある種の自覚が原因だった。

 「自分は女の子なんかではない。
 両親や先生がなんと言おうと、
 私は絶対に女の子なんかにはならない」

ブレンダは思春期には声変わりもし、体毛も生えた。
誰がどう見てもブレンダは男であった。
そして14歳の時にブレンダは両親から事の真相を告知され、
それを切っ掛けに男に戻ることを決断した。
1980年にはディヴィットと名前を改め、
男性としての人生を取り戻す。

ディヴィットはその後、男性器再形成手術を行い、
3人の連れ子を持つ女性と結婚生活を送っていたが、
2004年5月、38歳の若さで自殺した。

母親のジャネットは

 「ディヴィットに辛い思いをさせた。
 あの惨たらしい実験がなかったら、
 あの子はまだ生きていたでしょう」

と、自殺がマネーによる人体実験と
無関係でないと述べている。

デヴィットも生前、

 「もし、俺の過去を洗いざらい消し去ってくれる、
 催眠術師がどこかにいるのなら、
 俺は全てをなげうってでも、その人に会いに行くね」
 
 「あんな拷問はない。
 やつらが仕掛けてきた心理ゲームのおかげで、
 俺の頭んなかはめちゃくちゃになっちまったのさ」

と述べている。

このブレンダ=デヴィットの数奇な人生は
後にジャーナリスト、ジョン・コラピントによって
「As Nature Made Him(自然がつくったままの姿で)」
という一冊の本にまとめられた。
1997年、米国でベストセラーとなり、
本書の原作となったローリング・ストーン誌掲載の
著者によるコラムは、全米雑誌賞を受賞している。

日本では「ブレンダと呼ばれた少年」という邦題で
2000年に無名社から発行された。
売れ行きは好調であったが、
何故か翌年、絶版となってしまった。

狂った性理論を構築したジョン・マネーは、
その論文に疑問をもったハワイ大学医学校教授の
M・ダイアモンド博士に論争を挑まれ、
最終的にマネーのウソを突き止めたダイアモンド教授が勝利した。
マネーの数十年に渡る権威は、この時に失墜した。


私は、この「ブレンダと呼ばれた少年」を探し求めたが、
当然ながら普通の本屋では置いてなく、
古本屋を数軒回ってやっと探し当てた。
場末の狭い古本屋の片隅に
その本はひっそりと置かれていた。

一読後の衝撃は忘れがたい。
こういう事ってあり得るのか?
こういう事をやっていいのか?
やった人物の責任はどうなるんだ?

このマネー理論、
「男か女か」という性意識は生得的なものではなく、
生育後の環境が決定するという骨董無形な仮説は
一人の男性の人生を狂わせた。
そして彼の数奇な運命はマネー理論の欺瞞を証明した。

米国のフェミニスト達は
この理論をとうに見捨ててしまったが、
今もなお日本のジェンダーフリー論者は
この破綻したマネー理論を自らの思想の論拠としている。


さて、次回は
教育におけるジェンダーフリー思想の浸透を、
過剰な性教育に焦点をあてて書きます。
おそらく大半の日本人は
現在進行中の、この教育現場の惨状を知らないでしょう。



ブレンダと呼ばれた少年:
 ジョンズ・ホプキンス病院で何が起きたのか
 ジョン コラピント (著)


新・国民の油断
 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす
 西尾 幹二 (著), 八木 秀次 (著)



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by misaki80sw | 2005-03-17 00:47 | 反ジェンフリ・反フェミニズム