misakiのオールジャンル時事評論!


by misaki80sw

元旦、五大紙社説比較・・ちっとも、めでたくないよ。


さてさて、年明け一発目の娘通信♪ですが、
各新聞社の社説比較でもやってみたいと思います。

まあ、この種の企画は他のブログでもやってることで、
いわばパクリ企画みたいなものですが、
元旦の新聞の社説ってのは、
各社の「今年のテーマ」を高らかに歌い上げるもので、
たまには比較論評するのも一興だと思いました。

さて、新聞5社の比較です。
産経・日経・読売・毎日・朝日。
どこも長いので大幅に省略します。

まずは、産経からいってみましょう。


歴史の大きな流れに思う 保守に求められる創造的挑戦

 歴史はとうとうと流れてゆく。
 遡行できぬ川の流れのように。

 たしかに、眼前の風景だけを眺めれば、
 行く手を阻む岩壁は高く、大きく、そして険しい。
 目も眩むような七百兆円を超す中央・地方の財政赤字、
 真綿で国の活力を締めるような少子化と高齢化の進行、
 伸びきって弛緩(しかん)状態にある経済成長、
 これらは互いに絡み合って日本の前に立ちはだかっている。

 この原因を本質的に考えれば、
 高度成長の果実を公共投資や
 社会福祉政策に還元するという美名のもとに
 財政秩序にこだわらずに大盤振る舞いしてきた、
 戦後日本のニューディール型リベラリズム、
 換言すれば、一九七〇年代を支配した角栄的なるもの、
 あるいはミノベ的なるものの負の遺産である。
 とはいえ、この責め苦から目をそらす訳にもいかない。

 終戦から二世代六十年を迎えた平成十七年は、
 日本にとって「悪しき戦後」を超克する挑戦的な年となろう。
 いや、しなければならない。

 昨年の年頭のこの欄では、
 「日本の運命を決める一年」と記した。
 自衛隊のイラクへの復興支援や北朝鮮情勢の展開によっては
 七月の参院選挙で
 日本の保守政権に痛棒が加えられるかもしれず、
 十一月の大統領選挙では
 米国の保守政権が敗れる可能性も存在したからであった。

 しかし、結果が証明するように
 歴史は保守主義にとって好ましい方向に進んでいった。

 戦後日本の進歩主義的思想、無防備平和論、
 戦前の歴史全面否定などの潮流をせき止め、
 今の流れをつくったのは
 紛(まが)う方なく東西冷戦構造の崩壊と、
 これに続く湾岸戦争の勃発、
 それに昭和の終焉であった。

 一口に言えば、戦後の「進歩」的言論ないし
 勢力の全面的といっていい敗退である。
 伝統・慣習の重視、秩序、国の守り、主権尊重など
 保守主義の価値観に根ざした法律が、
 これら戦後進歩派の反対にもかかわらず、
 次々に成立していく過程が如実にあらわれているからだ。

 とうとうたる流れの阻止ないし混乱要因になりうるとすれば、
 それは戦後左派や既成野党であるよりも、
 「内なる敵」すなわち保守政権に内在する腐敗や汚職であろう。

 保守主義は革命は好まないが、
 不断の改革は厭わない。
 今ふたたび、あの高貴な精神を取り戻すことこそ
 保守主義者に求められる喫緊の創造的挑戦ではないか。
 とうとうたる歴史の流れに
 淀みを生じさせないためにも。

   (産経新聞)


まあ、御説ごもっともとしか言いようがないなあ。
実際そのとおりだと思うしね。

単純に整理するならば、

◇日本は問題山積み

◇これは角栄的なるもの、
 あるいはミノベ的なるものの負の遺産。

◇今年は「悪しき戦後」を超克する挑戦的な年となる。

◇歴史は保守主義にとって好ましい方向に
 進みつつある。

◇戦後の「進歩」的言論や勢力の
 全面的敗退が進行中。

◇でも、保守政権に内在する腐敗や汚職は気をつけてね。

こんな感じでしょうか。

この中で、

 歴史は保守主義にとって好ましい方向に
 進みつつある。

 戦後の「進歩」的言論や勢力の
 全面的敗退が進行中。

まさに産経君、初春のお慶びで、

 ♪あら、めでたや、保守の勝利♪

手足舞って喜ぶような文章。
「ざまみろ進歩派勢力!」ってな感じだな(笑)。

一言で言うならば、
「普通の国」化しつつある現状を良しとする、
ということなんでしょうが、
ただ、ここで私が言っておきたいのは、
「普通の国化」路線の行き着く先には何があるかと言うこと。

「普通の国化」の先には、
「普通の大国化」が待っている。
その先には「普通の超大国化」が待っている。

日本のGDPは世界全体のGDPの15%を占める。
ちなみに米国は25%で、両国合わせれば40%。
さらにEUは米国と同じ25%で、
日米欧の3極で世界全体の65%を占める計算となる。

脅威脅威と言われている中国のGDPは
日本の三分の一以下に過ぎない。

経済規模の面だけでいうならば、
日本は世界の超大国。
自覚してないのは当の日本人だけ。
己の図体の大きさに気づかずに、
懸命に「普通の人」たろうとしている成長途上の巨人。

日本は今、正気に目覚めつつある。
内外の情勢が、この巨人の目を覚ましつつある。
巨人は次第に己の行為や立場を、
自らの力量相応のものにすべく
自己変革を重ねていくでしょう。
この流れは止まらないと思うね。

今、日本の保守層もあるいは米国も
日本の「普通の国化」を歓迎しているけど、
国力の規模からいえば、
この流れはいずれ「普通の大国化」、
「普通の超大国化」に行き着くでしょう。

そうなっても慌てませんように。
また、そうなる覚悟を持ちますように。

10年後の産経の社説が楽しみです(笑)。


次に、日経新聞。

戦後60年を超えて(1)
 歴史に学び明智ある国際国家めざそう


 戦後60年にあたる2005年は、歴史の節目を刻む年である。
 日本経済は長い停滞から脱出しつつあるが、
 イラク問題など世界の混迷は続いている。
 歴史の教訓に学び、日本の針路を考えたい。

 この60年に「日本の時代」はあったのか。
 プラザ合意前の1985年春、
 ジャーナリストのセオドア・ホワイトは日本の経済攻勢を
 「日本からの危険」と題するリポートにまとめる。
 廃虚と化した敗戦日本を目撃し、
 ミズーリ号の日本降伏に立ち会った歴史の証人の目には、
 経済攻勢は日本の総反撃と映ったのだろう。
 ホワイトを恐れさせた「日本の時代」はしかし、
 一瞬の幻に終わる。

 戦後60年の教訓は何か。
 おごりが自らを見失わせ手痛い打撃をこうむる。
 過信と悲観の振れは大きかった。
 過去の成功体験にこだわるあまり転換が遅れた。
 それは国のあり方にも、企業経営にも、
 人々の生き方にも通じるものだろう。

 日本が第2の敗戦から抜け出そうとするいま、
 見渡せば、世界は変化と混迷の時代を迎えている。

 第1に、グローバル経済に大型新人が続々登場した。
 BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)
 の成長には目を見張らされる

 第2に、米欧間の亀裂である。

 第3にアジアの発展と混迷である。

 戦後60年を超えて、日本はどんな道を歩むべきか。
 日本のよりどころは経済の競争力にある。
 改革の手を緩める暇はない。

 試されるのは国際協調力だ。
 日米同盟は外交の基本である。
 同時に超大国に対しては、
 単独主義をたしなめ双子の赤字是正を要求する、
 口うるさい友でありたい。
 歴史の溝を埋めるのはアジア発展の大前提である。
 日中双方に中国版「冬のソナタ」ブームを生み出すくらいの
 懐の深さがあっていい。
 世界の分裂を防ぐため
 米欧間の架け橋になるのも日本の役割だ。
 国際協調なしに、テロとの闘いも中東安定もおぼつかない。

 多様な価値を認め合い、チェック機能が働く柔軟な社会。
 そんな明智ある国際国家こそ歴史が教える日本の道である。
 恐れられるのではなく、
 尊敬される「日本の時代」をめざしたい。

   (日経新聞)


良き文章とは、
小難しいことを分かりやすく書くことですが、
この日経の社説は悪しき文章の典型だね。
あれこれ複雑に書いたあげくに
「で、何が言いたいの?」って感じ(笑)。
文章の技巧能力はあっても
肝心の見識が無いという見本だな。

要するに、

◇経済:競争力を維持しよう。
    改革を進めよう。

◇政治:国際協調力が必要。

ってことなんだろうけど、
そんな事は言われなくても分かってるよ。
要は具体論を示しなさいよ。

ほとんど社説と言うよりも作文に近いね。


お次は、読売。

『脱戦後』国家戦略を構築せよ
 対応を誤れば日本は衰退する


 「戦後」は、すでに二世代相当の歴史的時間を経た。
 国際社会も日本も、
 「戦後」とは異質な世界といえるほど
 大きく変わってしまっている。

 世界は今また、新たな歴史的激動期に入っている。
 二〇〇一年の9・11米同時テロ事件、続くアフガン戦争、
 イラク戦争以後、世界・国際社会の様相は一変し、
 かつ急速に流動しつつある。

 こうした世界的激動への国家的対応を誤れば、
 日本は衰退への道を辿(たど)る。
 変化の先行きを見据えた中長期的国家戦略を構築し、
 着実、強力に推進しなくてはならない。

 しかし、日本が内外戦略ともに迅速、
 適切に対応できるかどうかについては、懸念もある。
 現実の日本には、いまだに「戦後」思考を脱却できない、
 “守旧”勢力が存在するからだ。

 こうした“守旧”思考は、文字通り「戦後」の数年間に、
 連合国軍総司令部(GHQ)の大がかりで巧妙な、
 検閲・言論統制、マスコミ操作によって培養された、
 「戦後民主主義」の残滓(ざんし)である。

 米国は現在、世界的な規模で
 いわゆるトランスフォーメーション、
 米軍再編に着手している。
 唯一の超大国としての
 長期展望に基づく世界戦略の再編でもある。

 この動きは、
 日本の長期的な国家安全保障と切り離せない。
 日米協力・相互補完関係を展望すれば、
 集団的自衛権を「行使」する様々なケースを
 想定せざるを得ない。

 憲法とセットで制定された「戦後」規範の一つに、
 教育基本法がある。
 久しく改定の必要性が指摘されていながら、
 現在も、改定作業が難航しているが、
 最大の焦点は「愛国心」の扱いである。
 愛国心が是か非かなどということが
 議論の対象になる国など、
 世界中、どこにあろうか。

 伝統の尊重の否定=愛国心の否定は、
 公共心の希薄化につながり、
 今日の教育の乱れを招いている。
 「個」の尊重が、ともすれば
 児童・生徒の自主性の名のもとに放任へと傾き、
 規律心の低下、
 さらには昨今の学力低下にもなっているのではないか。

 「戦後民主主義」を培養したGHQをリードしたのは、
 ニューディーラー左派と呼ばれ、
 「自由」に伴う創意と自己責任よりも、
 結果としての「平等」を重視するイデオローグたちだった。
 今日的にいえば左翼リベラル派である。

 たとえば、
 占領下の一九四九年に作成されたシャウプ税制は、
 直接税を中心に据え、
 個人所得には重度の累進税を課す、
 「平等」思考体系のものだった。
 日本では、わずか5%の消費税率を
 10%に引き上げることにさえ、
 「弱者いじめ」という論法による抵抗が根強い。
 シャウプ税制的な「平等」思考の後遺症であろう。

 ともあれ、老若男女の全世代が広く薄く負担する、
 消費税の位置づけを中途半端にしたまま、
 現役勤労世代の直接税・保険料負担を主要財源とした、
 社会保障システムを維持するのが無理なことは、
 はっきりしている。

 日本は、来年二〇〇六年をピークに、
 人口の急激な減少という明治以来初めての
 “国勢”転換期に入る。

 社会保障システムを支える前提としての、
 日本経済の規模と生産性そのものを
 維持できるかどうかという、困難な時代に入っていく。

 今、日本は、まさに国家百年の計が問われている。
 「戦後」の思考様式を払拭(ふっしょく)し、
 内外にわたり国家、国民の活力を維持するための
 戦略的対応を急がなくてはならない。
 残された時間は、そう多くはない。

   (読売新聞)


読売の社説は、
いろいろ言いたいことを詰め込みすぎて
総花的なんですよね。

上記の文章は省略してますが、
あの雑駁さは省略ゆえの雑さではありません。
原文からして雑然としてます(笑)。

要約するならば、

◇日本は中長期的国家戦略を構築すべし。

◇でも、“守旧”勢力の存在は、
 懸念材料なんだよなあ。

◇たとえば集団的自衛権の問題とか、

◇たとえば愛国心の問題とか、

◇たとえば悪平等な税率の問題とか、

◇さらには人口減少問題だってあるしね。

◇早急に「戦後」の思考様式を払拭し、
 戦略的対応を急がないといけない。

まあ、もっとも意見だと思います。
ただ、年頭の社説にしてはいまいちだと思います (^◇^)


さて、次は毎日新聞。

戦後60年で考える もっと楽しく政治をしよう

 戦後60年になる。
 平和主義も還暦を迎えた。
 危うくなった懸念もあるが、
 とりあえずこの快挙は喜び誇るべきである。

 戦後民主主義、象徴天皇制、人権の尊重など
 この60年を支えてきた基本原則が
 現実とのずれでいずれも揺らいでいる。
 
 人権も権利の付与が既得権化して
 社会福祉予算の拡大と
 それに見合う負担の合意形成をしないまま、
 とりあえず国の借金によるしのぎを続けている。
 その限界ははっきりと見えてきた。

 公共の福祉という、
 基本的人権抑制の政治判断をずっと避け、
 人気取りをしてきたゆえの不都合も目立つ。
 たとえば必要な公共投資は、
 所有権の壁や平等と称して
 全国にばらまく中途半端な割り当てによって
 むだばかり目立ち、
 不必要な事業ばかりが推進される妙な現状が
 蔓延(まんえん)している。

 今振り返ればこうしたことはいずれも、
 60年という稀有(けう)な長期間にわたり
 幸せの日々を重ねてきた日本が抱え込んで当然の
 成功話の裏面である。

 少子化を問題視するが、
 日本中が「貧乏人の子だくさん」の
 世界からの脱却を目指して
 働いてきた結果であり、高齢化は豊かさの象徴である。
 この60年で最大の成果である、
 高齢化と少子化の二つに祝杯をあげるでもないまま、
 年金の受け取りと支払いというたった一つの単線でつないで
 数字があわないと身勝手なクレームをつけている。

 アメリカと仲良くしたいが
 サマワに自衛隊を送るのはいやだ、
 子供はのびのびと育ってほしいが学力低下は許せない、
 靖国神社は参拝するが中国が文句を言うのはおかしい、
 もっと便利な暮らしをしたいが
 原子力発電はいらないし
 地球温暖化を招く二酸化炭素の排出は減らせ、
 食糧の輸入は自由化すべきだが自給率も上げろ……と。

 政治とはこうした国民のあい矛盾する、
 しかしそれぞれ当然の主張と要求をかなえていくからこそ、
 その手法と存在が尊敬される。
 しかも永続性をにらんで調和させるのが技だ。
 今、政治家はその最大の任務を放棄していまいか

 60年で慣行化した日本の政治のやり方は
 やや民主主義的でない。
 言葉による説得で多数派を形成し
 主張を政策に変え実現していくという過程が
 必ずしも目に見えない場合が多い。
 間接民主主義を取っている以上、
 目先は永田町での多数決がものを言うが、
 そのつど国民の多数を説得し納得させていくことが
 長期的に責任ある民主主義を根付かせるうえで
 絶対的な基盤になる。
 それをさぼって密室で出す結論は
 国民を政治から遠ざけ結局は観客主義を育ててしまう。

 なぜ、何が必要で、こういう見通しがあるからと
 説得による多数派工作がないまま進める、
 過去60年の政治体質から、
 結果だけでなくそういう過程を
 共に楽しみ責任も共有する、
 これからの民主主義を形成する60年にしようではないか。

   (毎日新聞)


何が言いたいんでしょうか?
意味が全く分かりません。

要約するならば、

◇政治家は国民の矛盾する要求を
 説得という手法で実現化していくべきで、
 その過程こそ楽しみというか・・・

・・・・要約不能です (;^_^A

毎日は正月から何が言いたいのか?
読解力が無いんで分かりません。


最後に、朝日。

2005年の始まり――アジアに夢を追い求め

 ロシア軍の司令官ステッセルが
 日本に降伏を申し入れたのは、
 100年前のきょう、1905年1月1日のことだ。
 激闘5カ月、中国・旅順の攻防はこうして結末を迎える。
 半年後、日本海で
 ロシアのバルチック艦隊を撃破した日本は、
 勝利を決定づけた。

 のちに清国政府を倒す中国の革命家・孫文は、
 欧州でこれを知る。
 帰国の途中、スエズ運河で多くのアラブ人に声をかけられた。
 「東方の民族が西方の民族を打ち破った。
 だから我々も……」
 という歓喜の声だった。

 アジアの独立運動家たちも、思いは同じだった。
 この年11月に日本が韓国の外交権を奪い、
 日韓併合へと歩を進めるのは皮肉だが、
 大国ロシアに勝った日本が
 西欧からの独立を求めるアジア人に
 自信を与えたのは間違いない。

 それから1世紀。
 いま「東アジア共同体を」という声が行き交っている。

 東アジアの国々でそんな提言や研究会などが相次ぎ、
 東南アジア諸国連合(ASEAN)と
 日中韓3国の首脳たちは今年、
 マレーシアで「東アジアサミット」を開くことになった。
 05年を「東アジア共同体元年」と呼ぶ声すら聞かれる。

 中国とASEANの急接近や、
 さまざまな自由貿易協定(FTA)づくりの動きが火を付けた。
 アジア経済危機の克服を助けた日本、
 経済成長がめざましい中国、
 そして互いに相手を必要とする入り組んだ関係が
 原動力に違いない。

 しかし、底に流れるのは
 古い歴史や文化をもつアジアの共通性ではないか。

 1世紀前、明治の思想家・岡倉天心が
 「西欧の光栄はアジアの屈辱」
 「アジアは一つ」と唱えたように、
 過去にはアジア主義の流れがあった。

 しかし、地域の政治に目を転ずれば、
 とても生やさしい現実ではない。

 北朝鮮の異常さは変わらず、
 日朝関係打開を探る動きも核と拉致問題で逆流。
 中国と台湾の関係は緊張をはらみ、
 日中の間にも厚い雲がたれこめている。

 膨れ続ける中国の軍事力は不気味だ。
 バネとなる愛国エネルギーは
 「反日」となって時に噴出する。
 日本はといえば、自分たちの過去を顧みず、
 中国をなじるばかりの言論も横行。
 両国が平和友好条約を結んでいることなど忘れたような
 悪循環である。
 小泉首相の靖国神社参拝、
 日本の海底資源を脅かす春暁ガス田の開発など、
 トラブルの種は尽きない。

 中国への不安はほかの国々にもある。
 抜きがたい中華思想、
 急激な経済発展がもたらした貧富の格差や経済倫理の緩み、
 共産党支配の異質性……。
 言語や文化などアジアの多様性も加わって、
 共同体など夢物語だという声もあがる。

 しかし、である。
 東アジアの先行きが不安だからこそ、
 できることから一緒に進める意味がある。
 「反米」に走るのではない。
 日本がアジアにしっかりした基盤をつくることは、
 健全な日米関係にとっても決して悪いことではない。

 孫文が「大アジア」を唱えたころ、
 欧州では日本人を母にもつオーストリアの伯爵、
 クーデンホーフ・カレルギーが「大欧州」を呼びかけていた。
 第1次大戦の惨状を目の当たりにし、
 仏独の歴史的な和解による統合なしには、
 欧州の平和も経済復興もありえないと考えたのだ。

 願いはヒトラー登場で無残に砕かれたが、
 第2次大戦後に息を吹き返す。
 それが今日の欧州連合(EU)にまで成長するのだが、
 第一歩は1951年に実現した、
 石炭と鉄鋼の6カ国共同管理だった。
 独仏両国の国境付近で長く争いの種となってきた、
 豊富な地下資源を、
 平和の種に転じようとした欧州の知恵である。

 同じ知恵を、いま日中両国が使えないものか。
 天然ガスなどの海底資源を
 共同開発・管理する仕組みをつくり、
 明日の平和につなげるのだ。
 日本にとって決してひとごとでない中国の深刻な環境汚染も、
 一緒に対処したらいい。

 大欧州の夢も、はじめは多くの人が
 現実味のないユートピア構想と見た。

 だが、かの伯爵は書き残している。

 「いかなる歴史的大事業も、
 ユートピアに始まり、実現に終わるものなり」

 EUのように、とは言わない。
 アジアの実情にあった緩やかな共同体の実現に向けて、
 まずは夢を追い求めたい。

   (朝日新聞)


来ましたね、
「東アジア共同体」構想。

朝日が日露戦争を評価するとは笑わせるが、
要は「東アジア共同体構想」の正当性を
肉付けしたいがため。
これも朝日流の機会主義でしょう。

何故、朝日の社説に関しては
長々と原文を引用したかというと、
これが今後の日本の外交戦略の
対立軸の一つとなるから。
そして、現代左翼の最後の政治的牙城になるから。

この「東アジア共同体構想」に関しては、
過去、二回ほど書いてきたので、
ここでは深く触れない。

「東アジア共同体」への道・・進むべきか否か?

娘通信♪版:今年の10大ニュース(前編)

かつてのマルクス主義を信奉した左翼連中は、
今は別な隠れ蓑を使って活動しつつある。

「環境保護主義」「ジェンダー運動」
「反核」「反原発」
政治的には「在日参政権」等の無国籍主義。

彼らの理念は、
◇反権力
◇反権威
◇富に対する憎悪
◇極端な平等主義
◇救済願望

共通する傾向は、
◇理念優先の現実無視
◇平衡感覚の無さ
◇論理の飛躍
◇目的は手段を浄化する。

これらの要素が絡み合い、
彼らは盲目的に独裁体制の旧共産圏を支持した。
ソ連・中国・北朝鮮・・・。

そして今、国家の外交戦略の分野に、
新たな拠り所を見つけて彼らは狂喜している。
それが「東アジア共同体構想」。

この左翼くずれと、
中国に盲目的な媚中派と、
昔から日本に脈々と流れてきた「アジア主義」が結びついて、
一つの政治的勢力を形成しようとしている。

何故、朝日がこれを支持するのか?
「媚中」と「反米」。
これをワンセットで満足させてくれる構想だから。

この構想の危うさは前々から触れてきたから、
ここでは特に書かないけど、
朝日のような左翼紙が
元旦社説でこの構想を支持するのは非常に興味深く、
この構想の何たるかを物語っている。
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by misaki80sw | 2005-01-03 22:20 | マスコミ・ネット・媒体関連